「孤独な涙」

ここのとこ、眠くて眠くて、寝る前に漫画読むぞう、とそれを楽しみに帰宅するのに、いざお布団に入ると気付くと気絶している。

眠いし、やる気もないわあ、と思っていたら月のものがきたので、もう諦めよ、と、今日はやらなあかんと思ってはいるもろもろ放り投げ早々に退勤。


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このフォークとナイフの置き方苦手。アルミホイル噛んだみいな苦手さ。ほんでケーキにナイフなくてもええですわたし。


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先週日曜は、高校の頃の先生のリサイタルへ。

二年に一度、開催してらして二年ぶりに。

前回は、引越し前で五条の家のときで、体調も今よりもぼろぼろで、這々の体、という感じで遅刻してなんとか行ったなあと思い出した。あの頃よりすこし良くなれているなあ。ありがたいなぁ。

 

ここに来るときは、シュウメイギクが咲いてる。花壇にいろんなお花が植えてあって、脇に水路があって、草花がそよそよしてる。シュウメイギク好きだなぁ。


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先生の歌は、冒頭3秒くらいから号泣してしまい、自分で自分に驚いた。先生のリサイタルに来てこんな風になったことはなくて(というか、ほかのコンサートなどでもなったことない)、どうしてそうなってるのか何がなんだか、ではあったけど、生きていることの肯定、生きていていいよ、と、先生から発されている、という感覚だけになって、だばだば涙が出ていた。第一幕、というのか、8曲演奏されて、先生とピアノの伴奏の方が袖に一度戻られるまで、マスクしたままぐずぐずに泣いていた。鼻をすする音ひとつたてられない雰囲気だったので精一杯がまんした。一曲目は「孤独な涙」という曲だった。

 

異様ともいえる涙がおさまって、おさまったはいいのやけど、よく泣いたもんで今度は、ゆめとうつつを行ったり来たり(居眠り)しはじめ、心地良い、というにはあまりに贅沢な音楽に身を浸して、半分夢の中にいた。

そうして、アンコールも終えた時、先生が、「この先このリサイタルを続けられるのかな、と思うこともあったけれど、今日ここに立って決めました、来年の11月、またここでやります。」といったことを言われて、止まっていた涙が再びあふれた。

 

もう、あの感覚をうまくは思い出せないのやけど、自分の高校生の頃から今日までの時間と、音楽と先生と、が積み重なってのものだったと思う。さささ、と会場を出て、ぽーーっとしたまま、ずんずん歩いてケーキ屋さんに入っていちじくのショートケーキを食べた。2年前にも同じようにぽーっとしたままずんずん歩いて、あのときはスコーンと紅茶をいただいたと思う。セルフメディケーション税制で認定してもらうべきルートだと思う。ぽーっとする演奏に身をおいて、美味しい甘いものをたっぷり食べる。

 

ケーキを食べながら、この感じなんかに似てるのよなあと考えてて、鍼灸受けたあとみたいなのだなあと思い至った。気が巡った、という感じ。淀んでいた部分が巡って、すっきり、さっぱりした心地。

鍼灸は、プールのあとにも似てるなあと思ってたんやけど、あれは血の巡りの方の感覚なんかな。この日のリサイタルのあとのぽーーっとする感じは、プールのあとのぽー、には似てないんやけど、鍼灸のあとのぽーー、には、両方どちらの感覚にも近いものがあるような。鍼灸は、ほんまに気と血、どっちの巡りも良くするんだろうな、すごいな。

 

「さあ、この日に得た元気で、年末乗り越えるんだぞ」と書こうかと思い浮かべたら、心が全く納得していない、嫌だというてる感じがした。それとこれとはどうも別らしいです。何を励みにがんばればいいのや、いや、がんばるなんてたいそうなこというてんと、やるべきこと粛々とやり、と自分が自分に言うている。それもそうやなー、アルファベットチョコのふたつでもかじれば2時間くらいはひとまずやれるやろ。大仰に言いな。明日も明日で、やらんならんことやれるだけやるだけ。明日もまた。と思えることが比類ないことで。さて今日もお疲れさんでした。