鮮やかな緑色の


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3月1日(金)帰路、バス待ち。夕方一時激しく雨が降るも、すっかりあがって星がきれいに見える。今日は、強く冷たい風が吹いてる。ふだんここは、強い風のあまり吹かない土地(と言ってみるものの、比較できるような他の場所に暮らしたことはなく、ただ海風の吹く町なんかに少しは行ったことがあるんで、おそらくこの辺はあまり風が吹かない方なんだろうなとぼんやり思っている程度)なので、音の鳴るような強風が吹くと、特に夜だと不穏なような気がして少しドキドキする。動いたものを感知するタイプのライトが、強い風が吹くたびあちこちで点灯するのも、不穏な気配を増しているように思う。センサー式のライトがここまで普及しなければなかったことだろうと思うと一種感慨ぶかくあるような気もする。これは新しい光景なのやろうか。ちかちか。

 

十日?もっと前か。心にざらっと残っていること。職場の出入り口の脇、水撒き用のホース巻き取るやつの近くに、楕円のような形の鮮やかな緑色のものが落ちていて、何かな、と凝視した。道端とかに何かわからないものを認めると、歩きつつも目が離せなくなって、それはだいたい、手袋とか、ビニールとか、そんなようなもんなんやけど、死んでしまっている猫やったり、鳩やったりカラスやったりしたこともある。この日も、歩くスピードは緩めずに、何かわからない美しい緑色をじいっと見つめた。「ん、鳥かな…?」と思った時にはすでに出入り口の扉に手をかけていて、立ち止まることを選べずに建物に入った。せめてどこか土の上に置くべきかと思いながら、でも手で掴むのは怖い、なにか段ボールの切れ端など準備して…?と手順を想像しながらも始業時刻になり、何もしなかった。そのあと、二度くらいそこを通り過ぎながら、わたしは何もせず、三度目くらいに、そこにいた鳥がいなくなってることを確認した。実は生きていて、倒れ込んでいただけで飛び立つ、というようなことは、起こりそうにない様子だったので、おそらく職場の関係の誰かが、どこかに埋めたり移したり、してくれたんやと思う。見て見ぬふりをする自分をただ苦々しく思う。誰が、どこにどのように移してくれたんだろう。わたしは、どうすればそんな風にできるようになるんやろう。こういう態度は、自分にたくさんある恥ずかしいところのひとつだと思う。