かざして支払うこと

最寄りのバス停から、自宅まで歩く5分すこしくらいの間で、UberEatsの自転車を3台見た。


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何度でも、見かける度、にユーバー?あ、ウーバー。と心で言う。

一台目に見かけた人は、荷台をあのリュックぴったり仕様にしている感じで、背負わずに置いてはった。

どんなものでも、工夫した跡、工夫した様子が見られることは、心愉しいことだなあ、と思う。


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しかし、それにつけても、市バスの運転手はなぜ致命的に運転が向いてなさそうな運転をする人が多いのやろうか。

あれは、絶対技術じゃなくて気持ちの問題やろうと思う。

一様に下を向いてスマホを見つめ続けている乗客が憎くてたまらなくなってくるんやろうか。

ごくまれに、これはこの人は天職なのだな!という運転をする方に当たったときは、精一杯のお辞儀とありがとうでICOCAをかざす。

 

かざす、ってねえ、支払いについて書くときに「かざす」なんて言葉を使うなんてなあ。遠くに来たなあ。わたしの夏は30度を超えればそれは猛暑だった。38度で「へー」ってなあ。遠いなあ。

 


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