白い花びら

はてなブログのアプリ、インストールした。
書きやすそうである。

こないだ書いた、夜の帰り道は、
カウリスマキの「白い花びら」を
観に行った帰りのこと。


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大変素敵なお家で、
庭の電球と、
室内の暖炉跡みたいなんとオルガンで、
アンゲロプロスの「狩人」思い出した。
蛍の光うたうシーン大好きや。

「白い花びら」、
冒頭の幸せなふたりが、
互いの肩に手をおき、
くるくるまわったあと、
ぐりっとおなかに、ゆびさしこむとこ、
たまらなかった。
わたしも幸せなとき、相手のおなかに指さしこんでみたい。
随所、随所、カウリスマキ
愛らしさがあって、やっぱ、たまらない。

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グッゲンハイム邸に続く踏切。
現実離れしていて、
電車が通る間、現実に戻った。
これ、写真の加工なんもしてないのです。
変なとこやった。

こないだ、飴色の照明について書いてから、思い出したことがあった。

トンネルの照明は、飴でできている、
と祖母に教わった。
トンネルに入る度、車の窓越しに、
あれもあれもあれもぜんぶうちの!
と照明指さし、もぐもぐと食べるふりをして、祖母と競った。
あのとき、一人称は「うち」やった。
(小学4、5年のころに、
父から「うち」というのは、
恥ずかしいことだ、改めろと言われた。
ごくたまに、忌々しく思い出す。)
あの、トンネルの飴色の照明は、
飴で出来ているという記憶から。
夜中のサービスエリアと、
それに似ているように感じる、
オールナイト上映の休憩時間のロビーに郷愁を、感じる。
おばあちゃんと並んで座り、
トンネルの飴色の照明を受けていた、うち、になってる気がしてる。

今は、トンネルの照明も、
LEDなんやろうか。
世の中の明かりがLEDになりつくしたら、
わたしは、この感覚を、うまく思い出せなくなるんかな。