エスフィーファ

四条柳馬場を下った東側の、エスフィーファというお店のことを、突然ぽかんと思い出した。
なくなってしまって、2年?いや、3年くらい経つのかな。

初めて訪ねたのは、たぶん高校2年か、3年だから、12年ほど前かもしれない。
その頃、新聞記事のランチ紹介コーナーが好きで、たまに切り抜いて取って置いたりしていて、
エスフィーファもそれで知った。
手描きのイラストが添えられた、短い文章の小さな記事だった。


ひとりで、外食をしたことなど、ほぼなくって、
いざ、お店の扉を開けるときには、とても緊張したような覚えがある。

店内は、こじんまりとしていて、L字型になったカウンターに五席ほどと、
壁に沿って、ふたりようのテーブルが、多分、みっつほどだった。
おじさんがひとりでやっていて、メニューは、

グラタン 赤・白・赤白半々
サラダ
エスフィーファ(肉パン)
クレープ
コーヒー そのほか

という感じで、グラタン一択だったと思う。

グラタンは、マカロニでなくって、スパゲティが使われていて、
赤はミートソース、白はホワイトソースでゆで卵もはいっていた。

クレープは、ラム酒かなにかに浸して戻したプルーンがひとつぶ入った、生クリームとカスタードがたっぷりと包まれたものだった。

肝心のエスフィーファ(肉パン)も、きっと一度や二度は食べたと思うのだけど、どうもうまく思い出せない。
グラタンでお腹いっぱいになって、肉パンまで頼めないのが常だった。

注文を受けると、あらかじめ仕込んであったグラタンを、トースターで焼く、
クレープに粉糖をふる、
コーヒーをいれる、という作業だけだから、
おじさんは、そのほかの時間はおもに腕組みをしていて、
ラジオに耳を傾けているように見えた。
ラジオは、いつでもエフエム局だった。
アルファーステーション。

食後、どきどきしながら、
新聞記事を見てきたことを告げると、
あの記事では、グラタン、サラダ、クレープ、コーヒーがセットになっているように書かれているが、
実際は単品なので困っている、というようなことを、
無愛想に、すこし困り顔で、言ってらしたと思う。

その日、わたしは、エスフィーファのあと、
かねてより手に入れてみたいと思っていた、ロモグラフィーの、アクションサンプラーという4連写真が撮れるカメラを買いに、
ヌメロ サンク というお店を目指すことにしていて、
その場所のことも、おじさんに尋ねてみた。
ヌメロ サンクは、今ならわかるけども、セレクトショップというもので、
高校生のわたしには敷居の高いお店だったのだけども、
そちらのお店も、どきどきしながら足を踏み入れたのだった。
店員さんは優しく、カメラを販売してくれた。
その後、このお店を訪ねることはなかったけれど、
大学生になってから、洋服好きな恋人のうしろを歩いていたら、着いた先がここだったことがあった。

エスフィーファへは、その後、女の子と一度、男の子と二度くらい、そのほかは、ひとりで訪ねた。
エスフィーファのカトラリーは、何故かJAL機内食用らしきもので、
女の子の友人が、そのことをしきりに気にしていたことを思い出す。

エスフィーファへ行っていた頃には、知らなかったけれども、
今思うと、とてもカウリスマキの映画に登場しそうな場所だと思う。

照明は蛍光灯でなく、ちいさい豆球がいくつもいくつも、星のようにたくさんついていて、
眺めると嬉しくて、待っている間によく上を向いた。

あの頃のわたしは、新聞の記事を見て来たっていうことも、真っ直ぐに伝えられたし、
(今はもう、なんだか恥ずかしくて言えない)
デジカメで写真をぱしぱし撮ったりもしなかった。眩しいことと思う。

腕組みをして、腰を流しに預け、
ジーーッと音を立てるトースターを見るともなく見ていたおじさんは、今、どうしているんだろう。
カウリスマキを知っているのか、聞いてみたかった。

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写真は、関係ないけれど、
こないだ大津で撮ったもの。
ちょうど、1年前にも来ていたな、と、
桜の散る幼稚園を見て思い出した。