祖父の手

夜、コンビニに出かけた。
今日で丸3日、家から出ていなかったので、ちょっと出ようと思った。

行ったコンビニには、5日前の木曜日、おじいちゃんの死亡届を5部コピーしに行った。
その日のことを思い出そうとしながら歩いた。
思い出そうとしているうちに着いた。

あの日、病院からの電話を受けたあとすぐ、母が仕事を終えて帰宅した。
朝にも一度、容態が急変して、という連絡があり、祖母だけで病院へ行っていて、大丈夫そうだったとのことで、祖母は帰宅していた。
母には、その旨伝えてはいたけど、気になって、仕事を終えて食事も取らず、すぐに帰って来てくれていた。

今また、病院から連絡があったのだと母にも報告し、母と祖母と3人で病院に向かう。
ちょっとだけでもなにか食べたい、と母はバナナを食べていた。
長くなるかもしれないし、と思って、じゃあ、パンをわたしのかばんに入れておくよ、と、しましまのかばんに菓子パンをしまった。

病院からの連絡を受けて15分後くらいには家を出ていたと思う。
病院の駐車場は、元より狭いのに、この日はすでに3台車が停まっていた。
とりあえず、祖母のみ先に病院に入り、車庫入れする、母と車に残った。
なにか役に立てるかもしれない気もしたし、今思えば、どこか怖かった。

ちょっとややこしい駐車を終え、母はどうにもなんかちょっと飲みたい、と持ってきていたカルピスのちいさな紙パックを数秒でちゅーーっと飲んだ。

ばたばたと、病室に向かった。
階段を4階まであがった。
祖父の病室に入ったところで、カーテンが引かれたベッドのそばで、祖母が声をあげて泣いていた。

高熱を出したまま、祖父は息を引き取っていた。
ひとりきりで、死んだ。

祖母が、呆気ないなあ、と、空に吐くように言ったと思う。
その時、祖母は背後にいたような気がするから、本当にそうだったかは分からないけど、そんな風に感じる声だった。

記憶がおぼろげで、そんな気がする、とか、そんなのばかりになってしまう。

おじいちゃんは、熱が出てたから、まだまだあたたかくて、生きているようだったから、
より一層心が混乱した。

前に、訪ねた時、祖父の手が、祖母の手に触れたがっているように、わたしには見えて、
それが、その場面が写真のように記憶に残っていて、
その左手を、よくよく握った。やわらかだった。

病院の方が、祖父の身体を清めてくださるとのことで、1階でしばらく待った。
向かい合わせになったベンチに、母と祖母のかける反対側にひとりでかけた。

祖母は、葬儀屋さんに、母は仕事場などに携帯電話で連絡を取っていた。

わたしは、スリッパからあしをぬき、ベンチの上で膝を抱えた。斜めがけにしたかばんが、お腹と膝のあいだにおさまり、なかからパンの匂いがした。なんかふかふかしてるなあ、と思った。

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満月は過ぎたけど、月が綺麗で、散歩の帰り道、5分か、10分か眺めていた。
泣きそうになったけど、涙は出なかった。
なんや、なかへんのかい、と、心が言った。

じいちゃん、またね

2015年9月24日木曜日、お昼2時半ごろ、祖父が亡くなった。

どうしようか、どこまで書こう。どう書こう。
細かく書いていた方が、いつかのときに思い返しやすいかな。自分が、ものすごく忘れ続けて生きていることを、最近実感するもんなあ。

あれは、何時だったんだろう。
2時15分とかだったのだと思う。本当に、亡くなる、わずかに、少し前だと思う。
おじいちゃんが入院している病院から、容態が急変したと電話があった。
祖母も家にいて、そう伝える。
ただ、ほんとに「容態が急変しました」と、それだけの説明だった。

やっぱり、辛い。
記憶が鮮明なうちに書きたいけど、辛い。
この3日間、心が色んな感情のところへ動いて振れてを続けていて、くたびれた。
ちょっとずつ、書くことにしよう。そうしよう。

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おじいちゃんの部屋。
これは、今日撮った。家族が買い物に出かけてる間に。

泣いて、普通になって、泣いて。
泣いても泣いても何度でも泣いて、何度でも普通みたいな自分になって。
なんでか、くるりのHow to goが聴きたくなって、木曜からYouTubeで聴いたり、久しぶりにMD出してコンポで聴いたり。
それか、三橋美智也の炭坑節をYouTubeで。ひとりになるたび、どっちかを聴いて、口ずさんでみた。
今は、MDで「アンテナ」をコンポで流してる。
普通の自分と、悲しい自分が入れ替わりたちかわる。

とりあえず、ここまで。
また書こう。

メモ か かもめ

2015/09/21 月曜日・祝日

前日のおでかけによるものか、微熱っぽい。が、検温するも、そうでもなく。
ただ、のぼせたようになっていて、日がな一日転がっていた。

弟が、あのうさぎアップリケにすぐ気付いていたと判明。もっと嫌がってよ!ばか!

牛乳パックが冷蔵庫のドアポケットで、開け口がこちらを向いた状態で入ってるのを見ると、開けた勢いでぱかっと口が開いて、中身がぶちまけられるところを想像してしまう。怖い。

ー ー ー ー ー

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2015/09/22 火曜日・祝日

朝顔かな?
朝顔って、思ってる以上に秋まで咲いてて、思ってる以上に朝じゃない時間にも咲いてる気がする。

帰ってきていた妹が、栃木に帰っていった。
どちらにも、「帰る」んだなあ。
わたしも、知らない土地へ行ってみたい暮らしてみたい。

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いいものを見た。
落ちてるメモを見るのは好きだ。

ここ数日、家にいるのが気詰まりで。
体調が悪い時は、気詰まりと思う気力もなかったから、これはこれでいいのだと思う。

干支が一回り

2015/09/18 金曜日

気力のきっかけに手をかけられず。

ー ー ー ー ー

2015/09/19 土曜日

母と最寄のイオンへ。
10月の妹の結婚式のため、ワンピースなど買ってもらう。
鮮やかな手腕の店員さん(60歳女性)だった。
明日のお昼、お天気お兄さんの正木さんと蓬莱さんがやってくるというポスターを発見。
ちょっと見たかったなあ。

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帰る頃には暗かった。
三日月がきれい。

ー ー ー ー ー

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(ここの交差点好き。あ、あたしも好き!ね、何秒かは上を見るよねえ。)

2015/09/20 日曜日

はるばるはるばる、稚内より友人来京。
朝に待ち合わせ、フルーツサンドでモーニングにする。
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甘く濃いくだものに、なんだかうるうるっとしたクリームがさらりとして、
それはまあ、夢の中で食べるものみたいな心地で。

その後すぐさまバスに乗り、そば屋を目指す。
記憶のあるうちに、何か行列に並んだことってないのだけども、
今日はそば屋でその行列の先頭を務めてきた。

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友人に、「ね、なんで美味しいんだろうか?美味しいんだけど、なんで美味しいのかわかんないよ。」と繰り返し告げながら、美味しく頂いた。
そばは謎だなあ。美味しさの理由はきっと繊細で、わたしには掬い上げられなかったんだろうなあ。切ない。

ふたり、共に通った大学近くをゆっくり歩いた。
道すがら、一番最初に彼女を見た瞬間の風景が、
講堂の柱にもたれかかってるところに、わたしが話しかけたその様子が、
写真みたいに頭に浮かんだ。

そのことを隣を歩く友人に伝えると、あの時、なにか入学ガイダンスとか、そういうようなものの時間が急に変更になったところだったはずだと、教えてくれた。たぶん、それが不安になって、声をかけたのだと思う。
わたしは、かくかくしかじかこれこれうまうまで大変な人見知りなので、清水の舞台からあやまって落ちる(飛び降りるまでの勇気はない)気持ちで声をかけたのだと思う。
(結局、大学4年間でできた友人は彼女一人で、ゼミコンにも一度も出ずに卒業した。)

それから、干支が一回りして、友人は暮らす土地を移りながら、故郷の稚内に暮らしてる今、
昔のように、並んで歩いていることにすごく感慨を覚えた。嬉しかった。

次に会うのは、いつ、どこでだろうね、元気でね、ありがとう、と別れた。
また会う日まで、元気で、まっとうでいたいなあ、と思う。

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ヤオイソ】
フルーツサンドは、四条大宮と堀川の間、南側にある「ヤオイソ」。
果物屋2階にこぢんまりとあったパーラーが独立して路面店?となってる。
ミックスジュースなどとセットで1000円くらい。
フルーツサンドは持ち帰りもあるけど、今回店内で食べて、持ち帰りパックよりうんと美味しいと再発見。
でも、手土産とかにヤオイソのフルーツサンド頂いたら、踊るくらい嬉しいので、それはそれでいいです。

【かね井】
そばは、鞍馬口通りのかね井。
たまご焼き食べてみたかったけれど、混んでるのでだめーーとのこと。
今日は、開店の1時間前くらいに着いてしまって、そのまま並びました。
お庭に一番近い席に着けて、それはそれでいいです。
(靴を脱いであがるお店でした。)

丸くなって寝る

2015/09/16 水曜日

きのうは、この日記を書いた後、
本当の最短距離で寝てしまった。
通るべきところ(お風呂など)を通らずに、うたた寝。
アルファーステーションでやってたキセルのラジオがことごとく、うっとりする曲ばかりだった、そのせい、にしておく。

そんなで、うまく寝付けず、今朝起きられず。

お昼過ぎ、幼なじみのお子を、母と訪ねた。
わたしが前に病院で会った時は、生後4日だった。今日で21日とのことだった。
ぐっと大きくなってるのかな…?と思っていたけど、身体は大きくなっているような感じはなかった。
ただ、なんというか、“判ってきてる”感じが、表情からありありと伝わってきた。
着実に成長してるんだなあ、と、
我が身と比べての切なさとか、あの、本当になーーーんにも知らない姿はないんだなというわずかな寂しさとか、が、
圧倒的な可愛い!!という気持ちの中にすこーーし混じったような気持ちになった。


ずいぶんずいぶん前に、ツイッターで「マインド・ゲーム」をおすすめした方が、ようやく観ました、とお返事をくださった。
覚えて頂いていて、さらには、観てくださった上に、良かった、と言ってくださって、とっても嬉しかった。

わたしは観てから、1年半くらい経っていて、もう記憶がおぼろげだったので、
いくつかネットの文章を読んで、YouTubeにある動画を見た。

あの、クジラの口から飛び出すときのような、逆流を全力以上の全力で、泳ぎかきわけ、走りに走って浮き上がっちゃうくらいの、そんなことを、やんなくちゃ。こっから、わたしは、出なくちゃ。タイミングはもう来てるのに。
無常迅速。時不待人。って。

西くんが、神様のところで生き返りたいって言うシーンも響いた。

「俺は戻れる」

「戻れへん、絶対」

「絶対絶対絶対絶対絶対…戻る戻る!」

「ちっとはやれるやん、続けられる?お前の身体で、頭で」

「俺は戻れる 戻る あのハゲをやっつける 何よりも力強くまっすぐ のびのびと楽しくいきいきと すべての力でやってみる」

楽しく、のところは、正しく、にも聞こえたけど、楽しく、かなあ、と思った。
あ、やんなくちゃ、って書いているけど、本当は、この西くんのように、「やってみる」っていう気持ちでいたい。
「すべての力でやってみる」。
だめでも、またやるし。っていう気持ちで、かつ、すべての力で。
簡単な言葉だけど、素晴らしい台詞と思う。

他にも、たまらないシーンはたくさんあったと思うけど、やっぱりもうあまり覚えていない。
去年、念願叶って劇場で一度観て、それきりで。映画館がいいけど、レンタルでもいいかなあ。
なににせよ、きっとまたもう一度観よう。

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「これからも普通のものを愛でて嬉しがっていたい」

2015/09/17 木曜日

国会中継を見てた。

安保法案 参議院特別委員会。
恥ずかしいほどに、政治のことに対して不勉強で、わからないことばかりなのだけど、
表情や喋り方、しぐさを逃さないように、という気持ちで、わたしなりに真剣に見た。

鴻池委員長に、不信任動議が出されて、その賛否を表明する討論があった。

適切な言い方かどうか分からないけど、本当のところ、不信任動議は、鴻池委員長に対して出されたのではなく、
鴻池委員長が、あんなだまし討ちのようなことをせざる得なくさせたものに対しての、不信任ということらしかった。
答弁に立つ人が口々に、鴻池委員長の公正さに尊敬の気持ちを表明していた。

そして、不信任動議についての賛否とその理由を答弁するという趣旨のもと、安保法案全体に対する意見が表明された。

不信任動議が否決となったあと、質疑の時間も設けず、採決となったので(あれで採決なんてとても言えないとは思う)、
この答弁はとても大切な時間だったのだと思う。

そのなかで、民主党政調会長代理、大塚議員の答弁がとても心に残った。
博識さ、聡明さ、穏やかさとともに、とても真剣な気持ちを感じた。
安保法案に関するこれまでの自民党の矛盾などをわかりやすく話されたのだけど、一番目からうろこの気持ちになったのが、国会職員の方へのお話だった。

かなり、勝手な要約になるけど、そのお話を聞いて、わたしが理解したのは、このようなことだった。

今回、自民党が行っただまし討ちのようなことについて、ある部分、国会職員の加担がなければ成立し得ないことだった。公平公正な話し合いの場を維持するために、国民からその職を任されているということを、いま一度確かめてください、と。
本来、委員長にそのように言ってもらいたかったが、言われなかったので、苦言を呈するようだが、あえて言わせていただいた。

かなりかなり、勝手に書いたけど、そのようなことを仰っていたと思う。

審議する法案の是非以前の問題で、そのやり方についてこれでいいのか、と、自分の考えを優先する人が、少しずつでもいれば、
だまし討ちや、かまくら強行採決のようなものは、見なくて済んだのかもしれないと思う。
恥ずかしくて、幼児にも見せられない、幼児にこそ見せられないものだったと思う。

じっと座って、テレビ画面の国会中継を見ているだけで、ずいぶんくたびれてしまい、不信任動議討論の途中で、見るのをやめてしまった。

無理して見続けることはやめよう、と注意してやめたつもりだったのに、
今、とても胃が痛い。
とても情けない。弱いから、優しくも強くもなれない。つらい。

牛乳温めて飲んだから、もう丸くなって寝る。
「マッド・マックス 怒りのデスロード」のあらゆる車が、国会に向かっていくところを想像して寝る。

おうみのみずうみ

2015/09/15

滋賀・大津へ。
滋賀へはたまあに行く。
JRでたった二駅だけど、山を越えて違う県になる。

以前は滋賀会館という建物の中に、シネマホールがあって、そこで何度か映画を観た。
思えば、滋賀にはだいたい映画を観るために来てたのかも。

今日は、湖畔のなぎさ公園というところのベンチにかけて、
パンをかじりながら、高校生の頃、
ここでデートしたことを思い返していた。
京都では上映の終わっていた「猫の恩返し」を観に来たのだった。
記憶がもうだいぶ薄いのだけど、
たぶん、映画のあと、ここでみずうみを眺めたと思う。

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ベンチで思い返しているときは、うわあああ!と、思い出しどきどきを少ししたけど、
こうして家に帰ってくると、もうピンとこなくなってる。寂しいことだな。

あ、今日、大津を歩いていて、
お寺の前でグサッときて思わず撮ったのだった。

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まさに、こういうことだなあ。
無常迅速!初めて聞いた。
ドラえもんの歌みたい。
でーまえじんそく らくがきむーよーうー。

今日は、連休にこちらにやってくる友人への贈り物を手に入れるため、
ドライリバーというパン屋さんを初めて訪ね、
そのあと、
先日対面を果たした、幼なじみのお子へのお祝いの品を買いに、
アトリエサンゴという、こちらは一度訪ねたことのあるお店へ行った。

たったそれだけで、もうくったくた。
最短距離で眠りたい。

なんて、なんてことだろう

2015/09/12 土曜日

完全に無気力だった。
明日はがんばる。

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2015/09/13 日曜日

結果を先に書けば、今日も(ほぼ)がんばれず。しおしおのぱー…。
親戚のおじさんにおこづかいもらった。31才なのに。


また今日も、誰の声だかわからぬまま、ラジオを聞いてた。
聞いているうち、おひとりは松尾貴史さんだな、と判った。キッチュ、って呼ばれてる方だよな、たしか。と。

出演は、複数人、おそらく全部で四人
素敵な声の男性が、自分の好きな喫茶店について、
「あまり、話しかけられたりしない店が好きで。ちょっと、カップがちゃんと洗えてるか心配になるようなとこなんですけど、そこは、店員さんが放っておいてくれるんで。カフェオレ頼んで、砂糖を混ぜていて、これは、砂糖を混ぜているのか、もしかして、もとから入ってた…(笑)」というような、かなりかなりうろ覚えなのですが、そんなようなことを話してらして、
ちょっときゅんとしつつ、面白い方だなあ、と聞いていた。

その後も喫茶店のお話をされていて、また、この方が、
「お客さんに出したおしぼりで、テーブルを拭くお店ってあるじゃないですか。その前に、そのおしぼりで、おじさんが顔をふいていたのを見ていたんで、テーブルに、その、おじさんのエキスが…。ちょっと乾くまでノート置くのやめようかなあ、とか(笑)」
といったようなことを話していて、ますます好きだ、素敵だ!と思っていたら、この方は小説家の中村文則さんだった。

中村文則さんの小説はとても好きで、
初めて「掏摸」を読んだ時、
ありきたりな例えだけど、雷に打たれたような感じだった。

穂村弘さんの特集だから、と買った、普段はあまり手に取らない文藝に「掏摸」が載っていて、
それで初めて中村文則さんの小説を読んだ。

ジャンルでいうと、サスペンスだと思うのだけど、ちょっと怖くて、装丁の感じだけでいうと、あまりわたしは手に取らない雰囲気で。
けど、その怖さとか、内容は問題でなくて、
上手く言えないけど、この方が何を書いても好きなんだろう、と思う。
いや、内容は問題なんだけども…ジャンルは問題でない、というか。
また読んで、どう好きなのか改めて考えてみよう。

たぶん今回初めてお声を聞いて、声まで素敵だなんて、
なんてことだろうとちょっとドキドキした。
あのお声を聞きに、いつかきっとサイン会にでかけようと思う。不純。