絵を観て涙が出たこと

徳岡神泉 深遠なる精神世界

堂本印象美術館にて

 

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絵を観て、じんわり涙が浮かんだことは、これまでもあったけど、ぽたぽたと落としたのは初めてだと思う。何も言葉が浮かばないで、涙が落ちる。

志村ふくみさんの着物が、左右両側に並ぶ展示を前に立って、ただ泣いた時と似ていた。

帰るのが惜しくて、引き返したりしながら、たぶん結局3周ほどまわった。


ああ、あの絵の前に立つと、また泣くかもしれない、と、そういう気で絵を観上げると、頭がもっていかれる感じがして、そのあとぽたぽた泣いた。

頭がもっていかれる、と浮かんだけど、全開になるというか、開ききって境目がなくなるみたいな、そんなことかもしれない。

何度かそういうことを繰り返して、くたくたもくたくたになってようやく、図録を買って美術館を出た。


涙が出たのは、全部大きな絵の前だった。大きな絵は、自分の寸法を小さくしようと試みずとも、そのままで包まれるようやから、いいな、と思う。わたしは、どこか飲み込まれたいと思ってるのやと思う。映画も大きなスクリーンで観るのが好きだ。


ここのところ、映画やなんかで、そこに何が映っているかということは、わたしの命が欲するかどうかということに、関係がないのかもしれない、ということを思っている。

美しいとか、感動するとか、素晴らしいなど、それは、「命が欲する」というものだと、先日に川口美術にて杉本貞光さんとお話しして教えていただいた。とても心にすとんと落ちるお言葉だった。

「命が欲する」ものは、焼き物であれば形などその見た目、映画であれば物語、絵であれば何が描かれているかで、そうなのか・そうでないのか、を感じとっている、はずなんやけど、目の前のものを命が欲している、愛おしいと思う、胸に抱きたくなる時、それがその形を取っていなくても、そう思うのではないかと、思ったりする。ということを、ここのところ思う、と言いたいのやけど、さっぱりうまく書けている気がしない。


ずさんなことを言えば、目に見えない何かによってもたらされる、そこに込められた気持ち、に由来する、となるけれど、果たしてそれでいいのか、もう少し、何か掬いきれていない、余地があるように思う。


今思うと、絵の前に立って、涙が出ていた時の感覚は、たしか生後1日か2日だった、友人の赤ちゃんに会った時の、途方もない無垢が目の前にあると思って感じたものと似ていたかもしれないなあと思う。真理というものは、無垢なんやろうか。

 

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(追加)

友人の子に会ったのは、生後4日だった。その日の日記。

http://varjoja.hatenablog.com/entry/2015/08/30/213606

 

タイツを履いた

今日、今季初めてのタイツを履いた。寒い。

 

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夕方、イオンモール大垣書店を取り立てた目的なくぶらぶらと歩いた。

 

初めて見かける「地域人」という雑誌の表紙に、いしいしんじ、の名前を見つけて、手にとって読んでみた。

4ページほどのエッセイで、いしいさんの知る、京都の人のことが書かれていた。

立ち読みしているすぐ目の前で、いま映画の評判が良いクイーンの短い映像が、雑な画質と音で繰り返し流れていたけど、途中その音が遠くなって消えて、読み終えて、はっ、として初めて音が戻ってきた。


音の遠くに行っている間に涙が出てた。いしいさんのその文章そのものと、中に出てくる人たちと比べて、今の自分がいかに「生きて」いないかが浮き彫りになった感じがした。

 

読み終えて、肩を上げて、ぷるぷるとしながら、涙をこぼさずイオンモールを出て、東寺道を東に入ってから、数メートルの間、声を上げて泣きながら歩いた。


帰ってから改めて、なぜ自分が生きていないと感じるのか、と浮かんだ。

前職を解雇される時に、恥を捨てて、どんなふうに拒否をされたとしても、批判をされたとしても、詰問されたとしても、洗いざらい気持ちを伝えてみるべきだったのだろうと、初めて思った。

怖くてできなかった。自分可愛さで言いたくなくて、それではあかんと思う自分を知らんふりして、ぶつからなかったと思う。精一杯、ではなかったかもしれない。

疲れ切っていて、そこまでやれなかった、踏ん張れなかった、と思ってもいいよ、と、自分に言いたいけど、まだ、それをすとんと飲み込めない。

 

せめて、ここからはまた、自分の思う精一杯でいよう。いつでも、なんでも。

 

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いつもここから、という芸人さんのコンビ名は、いい名前だなあ、と年に一度か二度思い浮かべる。

今日はその一度か二度のうちの、ひとつになった。頑張ろう。

何がと言い切れないくらいそれは

三社、応募して、

古美術店は書類で落ちて、

食品の販売は面接行って落ちて、

残り一社はお返事待ちやけど、あれで受かるわけないわな、という話ぶりの面接をしてしまった。


食品の販売のは、今日履歴書が返ってきてたんやけど、かなり辛い。

前職のお得意様やったところの店舗のひとつに応募して、訓練校の方にもさんざん相談して、アドバイスを頂いて悩んだ末に、「解雇」だったことは書かず、言わずに受けた。

多分、前職の勤め先に何らかの連絡が行ったと思う。そういう間で、前職の同僚から就活どう?という連絡が来た。


受けたアドバイスを自分なりに納得して、その方が前の勤め先にも迷惑をかけなくて済むだろうと考えた末のことやったけど、今頃あの嘘つきとまた言われているのだろうと思うと、悲しいというか、辛いというか、苦しくてしょうがない。

生活するために、もう、気持ちを変えて、また新たなところを探すしかない、とは思うけど、後悔と、行き場のない弁明が心の中にある。


こういう時は歩くといいらしいと、人に教えてもらったこともあるし、何かで読んだこともある。

とりあえず、今夜は歩いて帰ってみようと思う。

あーそんな事もあったなあ、とこの日記を読み返して思い出している、未来の自分を想像してなんとか切り抜けたい。

 

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「寒」の像。

時折思い返していた像を十数年ぶりに観に行ったけど、やっぱりおもろいもんは何年経ってもおもろかった。

けど、おもろいものも、何も心に響かない。早く、抜け出したいなあ。つらい。

何がと言い切れないくらいそれは。

ガラスカップのプリン、かぼちゃのプリン

今日は、面接ひとつ(面接の単位は一件?一回?)行って、帰ってから倒れるように5時間、寝る寝そべる寝るだった。


いざ出発、と、外に出て初めて、母に借りたパンプスが歩くとかかとぱかぱかするのに気付いて、ティッシュを詰め込んでなんとか歩いたけど、今、左足の指先などがぼろぼろ。

借りるときに、その場に立って足踏みするくらいしかせずに、歩き回ってみなかったことをとても後悔した。

今日の疲れの半分は、まともに歩けなかったこのことに由来する気はする。ああ草臥れた。

2週間前の日曜に階段から落ちて(結局病院行かへんかった)痛めた右足の指先がようやく曲げられるようになったところやったのにな。よぼよぼ。


そうだ、先週の木・金・土曜と、美味しいもん食べたこと、土曜を書いてないままだった。1週間前の今日は、翌週こんなことになっているなんて思いもせず、うはうはとモーニングのあとにプリンも追加してたのだった。


ここのプリンが大好きで、今までに何度か食べてるのやけど、今回初めて「そのままですか、お皿に出しますか?」と聞かれて、頭上にはてながみっつぐらい浮かんでたと思う。


これまで、ガラスのカップに入ったものしか食べたことがなかったのやけど、お皿に出すと何やら不思議と食感が変わるとのことで、今回はお皿でお願いした。ら、ほんとにいつもと随分と違う感じがして面白かった。

器から解放されて、柔らかいというか、緩んだ感じがあるような気がした。私はかたいプリンを好むので、たぶん次からはカップのままをお願いすると思います。どっちも美味しいんやけど。どっちかというなら。

 

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採用してもらえるかなあ。とてもいいな、と思ってたはずのとこやけど、いざ眼前に迫ると、ほんとにこの道、こっちの方向でいいのかなあという、迷いがほんのりと覆い被さっている、し、不採用になりそうな予感もしていて、そうなったら落ち込むだろうなあ、となんだかどこかしょぼくれた気持ちでいる。

明日は、ロイホのモーニングに行こう。本を読もう。楽しいことを考えよう。


ああ、最初の方に書いた、「かかとぱかぱかするのに気付いて」は、「かかとかぱかぱ」が正解やんな。ぱかぱかしたら、お馬や。ちょっと気に入ったので、直さないでこのままかいておこ。

 

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最後に今日食べたプリン。ワルダー(パン屋)のかぼちゃプリン(期間限定・今季2度目の購入)。こないだ食べて美味しさにびっくりしたので、今日面接の後瀕死になりつつ買って帰った。

美味しかったなあ。図らずしてプリン日記になった。

どうしてますか

気持ちがそわそわと落ち着かない。


今朝、履歴書を速達で一通送った。

夕刻、求人の応募フォームから一社申し込みをした。


履歴書を送り、また、応募フォームから申し込みをした自分を労おうと、帰り道にいそいそとシュークリームを買った。

そのビニール袋を腕から下げ、あ、切らしているドリップパックのコーヒーも買っちゃお~と、スーパー目指してぽてぽて歩いていると電話がかかってきた。30分ほど前に応募フォームから申し込んだばかりの会社からだった。コーヒーは買い忘れた。

 

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結局紅茶と食べた。クロバーのシュークリームは美味しい。

美味しい、という以外に、この美味しさを人にどう伝えていいか分からない。

写真もわたしでは冴えない感じにしか撮れない。

たまご!やさしい!おいしい!みたいな。たまに買って食べては、やっぱりいいもんだなあと思う。


先週の木金土曜と美味しいものを食べた記録、金曜の分。

金曜は、まっすぐ帰ろか迷いつつ、前日の夕はんのお礼のお手紙を出そうと郵便局に寄った足で、やっぱりセルジュの前までだけ行ってみよう、とそのまま東へ向かった。

セルジュは、主なメニューがケーキと飲み物だけのカフェ。

表にモンブラン売り切れ、とある。けど、タルトタタン、は売り切れ、と書いていない。

まだありますか、と扉を開くと、他にお客はおらず、今日はマスター何やらご機嫌で鼻歌みたいなの歌ってはった。


タルトタタンは、ほかはラ・ヴァチュールのしか食べたことがないので、あまり比べられないのやけど、もう、まあ、わたしの人生一位のタルトタタンとなりました。

パイ生地にのる、飴色につやつや光るりんご。パイ生地、りんご、クリーム、とみっつあわせて口に入れた。紅玉でしか作らへん、と言ってはったけど、ほんと、気持ちのいい酸味があった。贅沢したなあ。


これから、たぶんなかなか流れの速いところを行くから、こういうの励みにしていかなくちゃな。


あ、煎じ薬も、2倍量のを無事煮出した。平気で飲めた。怖がらずに行こう。大丈夫。

夜に猫町へ

月曜日。

訓練校は仕事の決まった人と、差し迫って働かなくても大丈夫な人がほとんどなようで、差し迫って働かなくてはならないのに今日までずるずるときて、応募すらしていないのは私だけではないかという感じ。


今日はとてもくたびれた。

1時間居残りし応募書類の作成を行い(終わってない)、薬がなくなったのでお医者さんにも行った。

しかし1時間居残りしても、たいして物事が進まないのは、あれはなんでだろう。1時間残業しても、仕事が進まないのも然り。

お医者さんでは、薬の量が2倍になった。理由は寒くなってきたから。季節が変わっていってる。2週間前、はじめての煎じ薬で最初えづきながら飲んでたのが、今全然平気。

薬2倍になったけど、水の量2倍にすんのか聞くの忘れた。まあ、濃いのを飲んでも、量を増やしてもどっちでもいいんやろう。飲めそうな気はするな。はっは。


なんか、ここに再び書きはじめたのはいいけど、しょぼくれたことばかり書いているので、良かったことを書いておこう。

先週は、木・金・土曜と3日間連続ですこぶる美味しいものを食べた。


木曜は、夜、猫町へ。

10年ほど前に一度か二度と行ったきり、というお話をしたら、じゃあ次は猫町へ行きましょう、とお連れ頂いた。

10年と少し前訪ねた時には、薄暗くておしゃれな大人のお店だと、ただただドキドキしてた。

今回行って、薄暗いのではなく、ほのあかるい、のであり、おしゃれというよりも、とても味わいのあるところだと思った。見えていなかった、分からなかった美しいものが見え、といって、こちらを緊張させることのない、柔らかさと愛嬌あるものの並びと取り合わせに感嘆するばかりだった。

料理は全てに魔法の粉がかかっているかのような、脳がくらっとするような強い美味しさのあるものばかりだった。

店の雰囲気もあいまって、出る時にはちょっと外の世界がずれていそうだと、そして、たとえずれていたとしても目の前の料理を食べていたいと惹きつけられるような美味しさだった。


カリフラワーとパプリカのスープ。豚のリエット。小芋とさつまいものグラタン。マグロほほ肉の炭火焼き。赤足エビのフライ。ごはん、おつけもの。さつまいもとりんごのタルト。チーズケーキ。ほうじ茶。以上三名で。満腹も満腹だった。


しかし何がどうしてあんなに美味しかったのかわからない。先々週、階段から落ちた甲斐があった、いや違う、落ちたのも報われたな、なんて。


さつまいもとりんごのタルトは、タルト生地とフィリングの間に、ほろ苦いキャラメルが流し込んであって、タルト生地がリッチでしっかりしているから、フロランタンの趣があった。フィリングのさつまいもとりんごはしっとり濡れてた。思い出すだにうっとりする。


あかん。簡潔に要点をまとめて書くことができない。まだ木曜のことしか書いてないけど、今日はこれにて。


あ、写真は一枚も撮っていません。ので、歩いてて見かけたコロッケ定食の写真を。なんかこれだけ安かった。おいしそ。

 

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白いシャツを着

今日もまた死に体だった。

わりとちゃんと朝起きられて、食パンにアボカドとクリームチーズと、初めてバターも一緒にのっけて焼いてみたりして、今日はちゃんと生きられるかもしれない…!と思ったらだめだった。

 

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ちなみにバターで特別美味しくなることはなかった。真ん中の不自然なくぼみがそれ。

フリップアップの山型食パンはうまいなあ。しかし、買うときに「山食もひとつください」と、山型食パンを山食と略して言ってしまったことを、1週間ほどだった今まだ少し後悔している。(パンは冷凍しています)


テレ東アプリでゴッドタン観て寝て、オードリーのオールナイトニッポン聴いて寝て、かろうじて洗濯物干して、ようかん食べて、ハライチのターン聴いて寝た。


煎茶席を設けますよ、と素敵なお誘いをもらっていたのに、踏ん張れなかった。


きのう、張り切って方々行ったから(といっても知れているし、なんなら一度帰って昼寝もしたのに)、今日は死んでまうかなーとは思ってたけど、いけるんじゃ、と、一瞬自分に期待してしまった。

月のもの、二日目というのもあった。と自分で慰めておこう。


今、実家で夕はんを頂いて自宅に戻らんとするところのバス。

しかし、今日は途中下車して、京都駅の証明写真機で証明写真を撮る。

顔の炎症がひかないので、ずるずると延ばしてきてたけど、もうしゃあない。明日には応募書類をまとめるのだ。

白いシャツを着、布袋にはジャケットほりこんできた。ぼろぼろのすっぴんで撮る。すっぴんっていっても、化粧をまともにしたことないからなあ。いつかする日が来るのだろうか。