向かつて 走ろう

きのうの土曜日は、なんというか、
思考と判断が、大変とっちらかっていて、物事がうまく運べない日だった。

縄で結わえた 物事 を、えっちらおっちら、引きずりながらずるずると歩いたようないちにちだった。

ああ、うまくやれない、と思いながら、イノダコーヒーでケーキセットを注文し、
ああ、もうだめだ、とめげながら、マクドでアイスティーにストローを差してもらい、
しながら、最終目的地に降り立った。

初めて降り立つバス停で足元を確かめ、
出産を終えた幼なじみに会うため、病院を訪ねた。
生後四日のお子を抱かせてもらった。

愛らしくて愛らしくて、赤ちゃんの途方もなさに言葉はもちろん、気持ちも失ったようになった。嘘のように小さくて、果てしなく広いみたいな、そんな存在だった。

わたしには、5つ下に妹と、17こ下に弟がいるので、
赤ちゃん、新生児を知らないわけじゃない。
でも、肉親の母でなく、幼なじみが産んだ、ということが、たぶん、決定的に違った。

平成27年生まれっていう未来としか言いようのない響きに生まれて、どんな時代を見るんだろう。
っていうことが、繰り返されている、
っていう、途方もないことが、目前に。

わたしもかつて、母にとってそういう存在であったんだろう。
繋いでいる、を目の当たりにした。

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きのう、その病院の近くで撮ったこの言葉が、
今日、とても沁みる。

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繋ぐのだから。
向かつて 走ろう!