遠くへ珈琲を飲みに行った

久しぶりに少し遠出をした。

とおで。なんかいい響き。

投函、図書、も、好きな響きの言葉と思ってるけど、もしや「と」から始まる言葉が好きなのだろか。


三重県四日市へ。

四日市って愛知県やっけ?とぼんやりと思っていた。三重やった。

高速バスも考えたけど、JRの鈍行乗り継いで。

初めて乗る路線にわくわくした。

古そうな車両の、二人座るには狭いようなちんまりした二人がけの座席に一人でかけて、持ってきたでかいおにぎりをふたつ食べた。

 

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柘植から亀山、という区間を走る一両のワンマン電車の、運転席が見えるところに座ったら、線路を走る電車も、ちゃんと「運転」してるんやなあ、とたぶん初めて思った。

普段、いっぱい車両のつらなった、ながーい電車に乗ってると、よく分からへん、というか、考えもしてなかった。

幼い頃に見てたら運転士に憧れたかもしれないな。面白かった。

 

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四日市の目的地は、BANKO archive design museum。

今日は出張大坊珈琲店

 

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“yellow”という展覧会の会期中なので、併せて見られるかな、と、頑張ってちょっとだけ早めに行ったけど、今日は開いてなかったし、まだ前の回をやってはったので、周りを少し散歩した。

 

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知らん町を歩いてる、知らん町を歩いてる、と繰り返し心で言う。

来る時に遠目に見えて気になるな、と思った和菓子屋さんまで行って、空きっ腹に(電車ででかいおにぎりをふたつ食べたのはもう霞のように消えた)珈琲はな、あかんよな、と、もちパイ(いもあん)というのをひとつ購入。

 

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行儀悪く、ふらふらと歩きながら食べたけど、どのあたりがもちやったんか分からへんかった。さして美味くなくも小腹は満たされた。

 

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あと、こっちのお店、勇気を出して入ってみたけど、お店の方出てこなくて買えなかった。

大入道せんべいの箱入りがすごかったんだ。買いたかった…。次来ることがあれば、ちゃんと大声ですいませーーーん!と言おう。


出張大坊珈琲店は、


薄めの珈琲

チョコレートのムース

濃いめの珈琲


という内容やった。

やかんの置かれたストーブを囲んだ四辺にテーブルが配され、三辺に3名ずつ、ぜんぶで9名の参加者が座り、大坊さんが珈琲を淹れはるところを皆で凝視した。


一度に3名分ずつドリップしはるので、合計6回。ほとんど話し声もなく、じいい、と眺め、静かに飲む。


大坊さんの珈琲は、豆を頂いて、自分でペーパードリップして飲んだことはあって、それでもなんて美味しいものかしら、と思っていたんやけど、大坊さんがネルで淹れはったものは、全く世界の違うものだった。

 

ちなみにカップは、バンコミュージアムの主である陶芸家の内田鋼一さんが作られた、今朝、窯から出したところ!というもので、手におさまりのよい、珈琲の色の美しく見える、なんとも言い難い淡い青のような色の、とても良いものだった。薄めの珈琲と濃いめの珈琲でカップの大きさも変えてあった。大坊さんのことも、私たち参加者のことも大切に思ってくれてるんだなあ、という気持ちになった。そんなことを何かわたしもできるようになりたい。


みな、珈琲を飲み終わったところで、一人ずつ大坊さんに質問を、というお話の時間があった。私は、“珈琲を生涯の仕事に、と、心に決められる瞬間みたいなものはあったのでしょうか”と質問した。

「サラリーマンを辞めて、店を始める、という時に、これで食っていかないと、と思った。その時は、食事が喉を通らなくなった。最初は、珈琲で食い扶持を確保して、他のこともしたいと思っていたけど、珈琲しかできなかった」というような答えを下さった。


あと質問の答えで心に残ったのが(質問自体はなんだったか忘れてしまった)、美味しい、というとき、何を捉えて“美味しい”と感じているかは人によって違って、それはその人自身のものであるということ。権威によって、決められるものではないと思っている、といったことを話しておられた。


ちょうど二日ほど前、中村一義の「君ノ声」の歌詞に、改めてガーーン、となったんやけど、それと重なることだった。私の美味しい、は私のもの。というのは、孤独なことやけど、だからこそ代わりはいないということ。そして、その奥に届けようと試みること。


そのほかの質問や感想の中で、大坊さんが珈琲を淹れる時の所作の美しさについて言ってはるのが二、三名あって、その時は、確かに確かに~、という気持ちでただ聞いてたけど、会が終わって、バンコミュージアムから駅の方に向かって歩いている途中、ふわ、と胸に浮かんできた感覚が、抹茶を一服頂いたあとのものと似ていて、ふとしばらく宙を見た。なんというか、珈琲とともに、生気のようなものを頂いてたのでは、と遅れて気付いたような心持ちになった。型を繰り返すルーティンの上にだけ込めることができる気持ちみたいなものがあるんやろうか。

同じ食べるということでも、

普段の食事で、栄養を得ていること、

また、板前さんのお料理で、食材の滋味を感じて力をもらった、と思うこと、というのと、一服のお茶の美味しさというのは、ひょっとしたらまったく別種のものがあるのかもしれない。

今ただただ不思議に思うけど、これからまたそんな瞬間を経験することができれば、もう少し、掴んだり、言葉にしたりできるようになるのかな。ほんとにこれはなんなんやろう。


今日、タイミングよく、この会に来られてよかった。点々と、自分の周りに広がるものに、手を伸ばし足を運び、あまり考えずにすくすくと動くこと。縁というもの。「日々是好日」で観た、手を信じるということ。そういうことが、最近思い浮かび考えている。


バンコミュージアム出てからは、いつも拝読しているカトーさんのブログで知って以来行ってみたいなと思っていた、ラジカフェというカフェに行った。

とても居心地良いところやったのに、電車の時間の都合でばたばたと出てしまった。(JRの四日市駅まで走った。間に合った。)

また、バンコミュージアムとセットで来たいなあと思う。ラップロールの生地が妙にうまかったな。時間が足りず、勿体無くもごくごく飲んでしまったけど、ラムクリームチャイも美味しかった。

 

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さて2019年。平成31年。もう二月やけども。どうなるかな。

がんばんなきゃな。ちょっとは強くなれますように。

吉田神社の節分祭は今年も行けませんでしたが、行きたいなと思うところにはなるべく、すくすくと向かえますように。