天からなにか降りてくる

2015/09/01 火曜日

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「初めての駅で降りて、初めてのバスに乗る。」

日曜日、夕飯のあと祖母よりお出かけに誘われる。
誘われるというか、ついてきて欲しい、という感じの依頼で、話を聞くと、
モザンビークの文化交流の公演みたいなものだという。
おっもしろそう!、と、いくいくー!(バーモント秀樹ふう)と二つ返事。

祖母の同級生の娘さんが、モザンビークと日本をつなぐNGOを設立されているそうで、今回は、現地より招待した、ギター・ボーカルとベースのふたりでのライブ演奏。

伝統的な民族音楽というわけではなく、モザンビークの今時の音楽にあたるみたいだけど、
やっぱり、身体の中に入ってるリズムがとことん違うのだろうと思った。
ギターはアンプに繋いだアコースティックギターで、
主にアルペジオで弾いてはった。
あんなリズムで爪弾きながら歌うなんて。

歌詞カードが配られていて、歌詞を見ながら聴くことができた。
内容は色々なんだけど、どれもが素朴な生活のなかの歌だった。
友達と喧嘩した歌とか、お母さんのグリーンピース料理は美味しいっていう歌とか。

演奏の後には、彼らの部族、マコンデ族の舞踏、マピコのデモンストレーションがあった。

マピコは本来、野っ原とかでやるもので、人工物の上でやってはいけないそうなのと、
打楽器のひとが20人いなくてはいけない、など色々なきまりがあって、
今回のような形では、(本来)存在しないマピコだということだった。
お面をかぶり、決まった衣装もあるのだけど、中に入っている人も、誰が入っているかは決して知られてはいけないそう。
中に入るにも儀式があり、儀式を受けていない人が入ると死ぬ、と。

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関東、京都、九州と本当に沢山のところで公演を行っているなか、
京都では児童館や幼稚園も訪ねていて、
子供たちはこれを見て泣いたそう。
泣くよねえ、そりゃ。

アフリカの部族にはこういった儀式が多く、
天からなにか降りてくる型、魂抜けていく型が主で、
マピコは天からなにか降りてくる型とのことだった。

他にもびっくりするお話聞いたけど、痛いことは嫌なので、ここまでにしておく。

遠い土地のお話を聞いたり、文化に触れることを、
豊かなことだと思うのは何故だろう、と考えた。
差異が広ければ広いほど、違いが明白になるからかな、
とか、思ったけど、よく分からなかった。
遠い土地の人に会う喜びの根源ってなんなんだろう。
稀有なことだから?確率の問題?

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帰りの電車のなかで、行きの電車で祖母のことをちょっとないがしろにしたことを、後悔した。

文庫本を持って出ていて、それを開こうとしたり、
スマホを眺めたり、する度に、
ぽつりぽつりと話しかてくる祖母に折れて、
適当な返事をしていたけど、
もっと、ちゃんと話せばよかったなあ、と、帰りの電車になって思った。

帰りは途中で別れて、わたしだけ京都駅まで出た。

いつものごとく、イノダの前に立ち悩み、ドトールの前に立ち悩み、
結局イノダの前に戻って、
いや、ここは、と地上の小川珈琲に入った。

日記を綴るのがあまりに久々で、
長いばかりであまりにも要領の得ないものになって、自分にがっかり。

2015/09/02 水曜日

の今日は、証明写真を撮りました。

以上。
要、日記のリハビリ。