じじいになりたいという話

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先ほど、9時過ぎ。
Tシャツ、リラコ(ユニクロのテロテロのズボン)につっかけ、そして首にはタオルを巻いた、おっさんのような出で立ちで、
ぶらぶらポストまで歩きながら、
ああ、やっぱりじじいになりたかった、と思った。

わたしは、肉体的にも精神的にも女だけど、
進路について考えていた、高校2年か、3年の頃には、
いろいろ煩わしそうなおばあちゃんじゃなくて、じじいになりたいな…と、思っていた。

それから、断続的ながらも、ずっと心のどこかでじじいになりたいという気持ちを持っていて、
今夜も、
小さな家がぎっしり並ぶ、下町のようなところで、
何の用もなく、家の前で、無意味にぱん、ぱん、と、手を打ち合わせてぶらぶらしているような、じじいになりたかった、
前世とか、来世とか、あるのなら、わたしはきっとそうでありたい、とか、
そういうことを考えながら歩いていた。

こういうことが頭に浮かぶ時、いつも、魚喃キリコの漫画の1ページを思い出す。

それは、電車のなかで、カップルらしき一組の、女の子の方が、「男の子にうまれたかったなあ!」みたいなことを、男の子に向かって話しているところで、
それを眺めている主人公の心のセリフとして、「じぶんが女だっていう最大のアピール」みたいな一言がつぶやかれる。

わたしも、そうなんだろうか、と、その度に考えてきたけど、
よくわからなくて、ここのところは、
男になりたかった、と、男に言わないようにしよう、と思っている。



やまとなぜしこ、というテレビ番組でいつも、さまざまな事柄で男女の違いを比較して、面白く紹介していて
(なんでも集めたがる男、とか、行列に並びたがる女、とか、そんなようなやつ)、
わたしは、男女のどちらにも共感出来ないことが多い、し、どちらかといえば、
男性に共感することが多いかもしれない。

けれど、胸ときめくのは、男性の腕の太さとか、身体の厚み自体がなんだか全然違うところとか、そういうことなので、
性同一性は合ってるんだと思う。
現代社会の価値観のなかで、
女性が価値を置くものに、あまり興味を抱けないだけなのだと思う。

だから、肉体的にも精神的にも性別は合致していて、
本気で性別を変えようとか、そういう気の無い、
じじいになりたい、というわたしの気持ちは、
もしかしたら、やっぱり、魚喃キリコのいうところのものなのかもしれない。
わからない。



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シャムキャッツいろいろ貸して頂き拝聴。
YouTubeで繰り返し聴いていた曲が、コンポで聴くと潤ってきらめいて驚いた。
ベースの音、聴こえてなかった。

(もうずっと、コンポにCDを差し込むことが億劫で、スマホYouTubeでしか音楽を聴いてなかった。気力がちょっと戻った。引き続き豊かになりたい。)

明日、というか、もう3時間後の、
深夜3時過ぎには、母の実家に向かって出発する。
なんの準備もできてないいま、お風呂もまだのまま、
こうしてとても久々のブログを書いていて、
つくづくあほやな、と思う。