差し出せるもの

月曜午後2時半、ロイホで昼ごはん。

離職票が今日やってくる、はず、と思っていたけど来ず拍子抜け。

む、無職なのにな、と葛藤しながら、このまま寝そべってしまうよりは、と、のそのそ這い出てきた。

関東地方は台風。

日本に来ていて、自分に全く影響を感じない台風って、今までの記憶にないような気がする。だいたい何はなくても、普段は感じない風だなあ、くらいは思った気がする。あ、実は夜のうちにあったんだろうか。


至近のロイホは最近、心持ちリニューアルが施され、大きな窓から見えるケヤキの並木を眺めやすい小さな席ができた。

一人で行くので、今日もその小さな席に案内してもらえたのやけど、先客のおじさんが緑の見える窓に、背を向ける方向で座っているために、わたしが緑の方へ向いて座れば、おじさんとばっちり対面することになるし、そんな勇気はないのでしぶしぶ緑に背を向けてかけた。


仕方なくドリンクバーを眺めて、食事をしていると、カトラリー入れにスプーンがなくてフォークが2本。店員さんにお願いするのも煩わしく、スープスプーンで食べる。無論食べにくいそれですくった人参は、はっとするほど味がなかった。見た目が人参の、別のもの、というくらい味がなかった。ディストピア感というのか、未来の食べ物を思った。

背後では、おじさんがパソコンを使用しながら、追加注文したクリームあんみつをすするように、妖怪を思わせる咀嚼音を立てながら、ちびちびと食べている。


なにかちょっとずつズレてんな、こういう日は気をつけないとな、と思っていると、おじさんが帰ったので、すかざず向かいの席へうつる。

 

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ゆれる緑を眺めてほっとしながら、さっき店に入ってきたときにレジで精算していた孫・母・祖母らしき3人連れのようすを思い出したり(20歳超えてそうな、ちょっとだけ派手な格好の孫が、母が支払いする横で、おばあちゃんにパンチ!パンチ!ってして、おばあちゃんも同じようにしてた。かつてそうだった、の再現・再演のようだった)、

昨日ひさびさに乗った阪急神戸線の車窓から見た、飛び立って行く飛行機(京都では、豆粒のような大きさの飛行機を見ることしかない)を思い出したり、した。

 

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これは今日の京都の空。飛行機はいないと思う。


昨日は、六甲のギャラリーへ吹きガラスの展示を観に行った。

初めて訪ねたそのギャラリーは、マンションらしき建物の一室、それも二階にあるのに、外には一切の看板が出ていなかった。(見落としたんかな。)

そういう素っ気なさというか、高潔な感じが店内にも張り詰めていた。

少しびくびくとした気持ちながら、美しい物を眺めていると、長年の憧れであった料理家の方が入ってこられた。

きょうの料理なんかでも、こちらのギャラリーの方と一緒に出ていらしたし、もしや、お目にかかれるのでは、などと、ふわっと思い浮かべて、でもさらさらと流れて忘れていた。

テレビで見ていたとおりの佇まいで、真となりに立たれたとき、自分と同じくらいの背丈かな、と思った。想像したより小柄な方だった。

わたしが、半歩にも満たないほどわずかに後じさると、小さく「ごめんなさい」と言って前を通られた。大好きです…!と全身で思った。念じたっていうか。口には出せなかった。

 

5分か10分か、それくらいのこと。居合わすことができて僥倖だった。

 

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ギャラリーは撮影禁止だった。近くの神社で。

 

何か、差し出せるものを持てたときに、またいつか、お目にかかれたら。できるかなあ。