流れていくよう、どころではなかった。
時に濁流、今は急流ぐらいかな。
最後に書いてから、約1年。
さて、何から書こうか、と止まってしまう。
今日は、休みで、家から歩いて3分のロイヤルホストに出かけた。
台風がきていて、激しい雨の降っている中、ランチタイムが終わるぎりぎりに滑り込んだ。
それで、金色の刺繍がはいったジャージのおじさんを含む、少しまっとうから外れていそうな話をしている三人組をちらちらと見ながら、ランチセットを食べた。
この家からごく近いロイホは、お昼間、宝塚の男役のような髪型をしたおばさまと、すこしふっくらとした体つきで、髪はおだんごに結わえてるおばさまという、素敵な店員さんがおられて、おふたりとも優しくホスピタリティを感じ、とても居心地がよく、ここひと月で3回訪ねている。こちらに越してきて約1年ずっと来なかったことを少し残念に思っている。(朝井リョウ加藤千恵のオールナイトニッポンで、朝井さんがロイホの素晴らしさを語っていたことをふいに思い出して行った。主に懐具合からすると、わたしには少し過分ではあるけど、でも行ってみてよかった、朝井さんありがとう。)
で、今日はクレープクッションという、ファンシーな名前で手頃な価格の、とても美味しいデザートを食べながら、いしいしんじ「悪声」を読んだ。
6月の末から少しずつ読んでいるのだけど、まだ中ほどを過ぎたところ。
手強くて、なかなかするするとは読めない。
今日、読んでいるところに、“石切”が出てきた。石切神社。石切さん。
そこで、祖父が「石切さんに行きたい」と言っていた様子が、ばっ、と頭に浮かんで、涙が出た。ロイホなのに。
祖父のお葬式のとき、棺に手紙を入れていい、と言っていただいて、手紙といっしょに、いしいさんのごはん日記のコピーを入れた。
祖父は、白菜漬けを作るのが得意で、毎冬、漬けてくれていた。
白菜漬けは、寒くなるほどに美味しくなっていく。毎年、毎年食べているので、家族は皆、とれくらいで美味しさのピークがくるかもだいたい分かっていて、一度、その一番美味しいと思うタイミングで、いしいさんに祖父の白菜漬けを届けた。
その日の、ごはん日記のコピーを入れた。
祖父に、コピーを渡してはいたけど、読んでくれていたか分からなくて、入れた。
読んだ?って聞けばよかったのにね。
祖父の命日まで、あと4日。
なかなか読み進められないでいたけど、今この時に、この部分を読むことができて良かった。
祖父のことを、きちんと思い返したり、考えたりしたいと思いながら、落ち着いて考えることができないまま一年たった。ここに書き記していた、祖父の最期のことも、なんというか、中途半端だと思う。
意識的に考える時間をとろうとすることは必要かもしれない、と思いはするけど、でも、区切りを決めたり、つけたりすることはないのだろうと、今日考えた。
少しずつ、祖父を思いたい。泣いてしまうから、避けているところがあったけど、少しずつ。
そうすることが、祖母や両親、母方の祖母とのこれからに繋がるのだろうと思う。
毎日、美しいものを観てる。
冷たい接客をすることもある。
楽しく、お話しすることもある。
勉強が足りないと思う。好きこそ物の上手なれ、だろう、わたしは、うつわとか、好きじゃないんかもしれん、とか思う。
ままならないことばかりだと思う。
諦めてばかりだと思う。
それでもしぶとく、自分のどこかは望みを持っていて浅ましいと思う。
年齢からして、できることが少なすぎると思う。甘いのだと責めてみたりする。
毎日が、対自分で、自分でいっぱいで、
どこか遠くに行きたいと思う。移動したい。
ちょっとでも上手に生きたい。
よい習慣を増やしたい。
思うように生きられるはずなのに、環境が変わっても、
わたしのだめなところは、強靭で、なかなか変えられない。
「石切さんに行きたい」と言った祖父に父は「歩けへんやろう」と言っていた。
石切さんは坂道にある。
歩いて、少しでも思うところに行きたいと思う。頑張りたい。
もう何年も頑張りたいと思っている。
明日は頑張れますように。