31歳になりました。
いくつか前の記事で、数年前に閉店したエスフィーファというお店のことを書いたときに、カウリスマキの映画にでてきそうなお店、と記した、その、カウリスマキについて、今日は、誕生日のこととともに文章にしたい。
ちなみにミカ・カウリスマキというお兄さんも映画を撮っている。
わたしが好きなのはアキの方。
カウリスマキの映画には、共通して登場する役者さんが結構多いのだけど、
その中でも、いわゆる“ミューズ”のような、ほぼすべての作品で、ヒロインを演じている女優がいる。
ミューズ、という言葉も、ヒロインという響きも、あまりそぐわないのだけど、カティ・オウティネン、というかたが、その女優で、
カティ・オウティネンの誕生日と、わたしの誕生日は同じ日、8月17日だった。
それを知った時には、おこがましくも、運命!と思って、すっごく嬉しかった。
そして、今年は、その誕生日の日に、カウリスマキの旧作が、映画館でかかると知り、これはますます、運命!と勢いづき、
今日は、その上映がある神戸は元町へいそいそと出かけてきた。
もちろん、ブルーレイで出たボックス(ふたつぶん)は、持っているのだけど、
旧作が、映画館でかかるっていうのはなかなか特別で、この特別さ加減を詳しく書こうとすると、ちょっと長くなるので割愛するけど、
とにかく、お誕生日と重なるこんな機会は、後にも先にももうないかもしれないし、これは必ず行くぞ、と意気込んでいた。
元町映画館。
2年前の今日にも、ここでひとり映画を観てた。
その日は、まず、神戸映画資料館というここからすこし離れたところで、
セルゲイ・パラジャーノフの「火の馬」を観て、そのあと急いでこちらにきて、「ラッチョ・ドローム」を観るという、映画のはしごでいちにちを終えていた。
去年の誕生日は、何をしていたか、いまいち記憶がない。
この元町映画館に来るのは、2年前の誕生日以来。
待合スペースとして解放されている2階の壁には、これまでの上映作のちらしが貼ってあって、大変見応えがあった。
あ、あれみたな、これみたな。と。
今日観た、「浮き雲」。
夫が失職し、妻が失職し、
どんどん追い込まれていくけど、
互いになぐさめあうふたりは、
めげつつも、その状況を打開するべく、いろいろとやってみる。
その様子をただ見つめる映画。
カウリスマキの映画は、決して明るくないし、セリフも少なくて、むしろ暗いといえば、暗いけど、
生活に花や音楽があるし、どんな目にあっていても、シャツにはアイロンをあてる。
ああ、あのなかに入ってしまいたい、と思うし、
スクリーンを観ている間、たまに、なかに入っているとも思う。
そんな風に、映画に頭を突っ込んでしまうように観た後は、
たいてい映画館を出た時に、足元がふわふわとするし、それもまた楽しいのだけど、
カウリスマキの場合は、するりと町の風景が馴染む。足も、しっかり地面を踏んでいる。
そのまま現実の町へするりと着地しながら、映画のなかがそうであったように、カウリスマキの視点を借りたわたしの目に入るもの、いちいちがすべて愛おしくなる。
(カウリスマキは画面のなか全てを愛おしく思って撮っていると感じる。)
気持ちを昂らせたりしないのに、景色がきらきらとする。
そういうところが、たぶん、カウリスマキの映画が好きでたまらない理由のひとつなんだと思う。
映画のなかの職を失ったカティ・オウティネンは38歳で、
職を失ったままでいるわたしは、31歳になった。
エンドロールを見ながら、この映画のラストシーンのように、わたしも立てるんじゃないか、って、そう思った。
でも、それには、きっと、
なぐさめあうパートナーがあったほうが、きっといいんだろうな、と思った。
映画のなかで、ふたりがめげないのは、お互いがいてくれるからだというように見えたから。
そういうパートナーと出会いたいなあ、と切々と胸に抱いて、
ひとりスクリーンに向かう誕生日やったけど、でも、
ああ、幸せだなあ、と、1日の中で何度も思ったのもほんとう。
いろいろ省みれば、手放しで幸せだなあ、なんて、社会的にはたぶん、まったく言えない状況やし、そのことについて、具体的に考えなくてはいけない地点にもいる。
でも、大好きな本を読みながら(今日は、読みかけている本とかはほっぽって、好きな本をかばんにいれた。川上弘美の「神様」)、電車に乗って映画を観にすこし遠出して、
素敵な喫茶店で、申し分ないトーストとコーヒー食べた今日は、
やっぱり、とてもいい日だった。
元町サントスとか、観音屋とか、有名どころを横目に、悩みに悩んで、
一度、大阪のお店に入ったことのあった、にしむら珈琲に入った。
ここにして良かった。
デリカテッセンのハムとソーセージ、という言葉に惹かれた、バスケットランチ。
スープは冷たいヴィシソワーズだった。
イノダコーヒーと同じくらい、好きかもしれない。
来年の誕生日は、きっともっといい日。(でありますように)