まちぼう犬を見たこととか

ふと、ここひと月ほど、嬉しかったり楽しかったりしたことが沢山あったなあ、と思い至る。

 

ぽつぽつ書いておこう。

 

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パン屋を出たところで。まちぼう犬。

カウリスマキの最新作の映画に出てくる犬に似ている。気がして。

 

これ。

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 映画は、フィルムで上映される回をめがけて、名古屋か神戸に行こうと思っている。

 

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この日記に以前記した、「オンノジ」という漫画を勧めてくれた友人が、先日初めての単行本を出版した。

 

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「我らコンタクティ」

宇宙人に映画をみせるために、ロケットを飛ばす映画。

 

読んだ直後に、ツイッターに書いておいた気持ちを。

 

『「我らコンタクティ」胸の奥から元気湧き上がって、涙ぽろぽろ出る。読後の感覚が、すっごいいい映画観て、足元ふわふわしながら歩く帰り道みたいな。』

 

『今日はコメダで。2周目の「我らコンタクティ」。1度目に読んだ時よりも泣いてしまった。コメダなのに外なのに。なんでこんな感情が昂るのかが、自分のことなのに分からない。映画や小説でも、とても稀にこうなるけど、現実に目に映るもの以上のことが流れ込んでるような、そんなような、気が。』

 

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こないだ、にこみ鈴やへ一緒にでかけて、サイン描いてもらった。帰り際、その場にいた他のお客さんに宣伝させてもらったり、もりたさんも鈴やを好きと言ってもらえて、とても嬉しい夜だった。

 

母にも読んでもらったところ、面白くてすぐ読んだ!と連絡が。「お母さんはな、大体漫画は萩尾望都が一番好きやねん!」と母の子にうまれて33年、初めて知る話も聞けた。

萩尾望都も読んでみようかなあ。

 

さらに、ゆうべは我が家にて、同居人、もりたさん、書店座長、お向かいの教授などによる忘年会で午前3時まで鍋をした。

こんなこと、身体を壊してから初めてで、今日の体調ズタボロで一日死に体やったけど(ほんっっとうに仕事休みで良かった)、とても嬉しく楽しかった。

 

ピェンロー鍋、もりたさんがゼスト御池でインド人からぼったくられながら買ってきたスパイスで作ってくれたありがとうチャイ、バタバタのシュトーレン

 

辛い点もあるけど、良いことだけ書き残しておこう。

さらに、ほかにも書きたい嬉しかったりのことあるけど、とりあえずはこれで。

ここから一週間。たぶんめちゃめちゃに忙しくなるけど、なんとか頑張るぞ…。

 

ひと月と少し前の静岡のこと

静岡観光二日目。

 

江之浦測候所へ行くこと以外何も決めないままに出てきていた静岡旅行。

それで二日目は、普段ブログを拝見している静岡にお住いの方が、日々ゆかれているとても美味しそうなあんなお店や、こんなお店を行きたいだけ行ってみようかと思っていた。

宿泊の場所を、横浜か静岡市で迷った時、静岡を選んだのはそんなことから。

 

の、はずやったのやけど、旅行の2日目、駅前でわたしは気付いたら静岡鉄道と、しずてつジャストライン(バス)の一日乗車券を手にしていた。というか、よく分からないままに買ってしまっていた。

 

これは、折角なら沢山乗らねばなあ、と、まず芹沢銈介美術館に。

 

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入口のアプローチから素晴らしかった。金木犀が植えられていて、ちょうど沢山咲いていた。

 

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訪ねた時の企画展は「のれん」。

とてもとても良かった。

 

頂いた出店目録の紙にメモした感想など。

・細密さを押し売りしない、細密な仕事

・国画会 富本憲吉の芹沢銈介に対する評「地道で正確な制作態度」

・「ファン・ホッホの生涯と精神病」

・“ようこそ文のれん”浄土真宗の信徒、因幡の源左の口ぐせをモチーフにしている(ただ単に千客万来のような意味でなく、良いことも悪いこともようこそ、と迎えること)

・“小川紙漉六曲屏風”「ぴっかり千両」天気の良い日は紙がよく乾くことから。

 

登り窯の絵の型染めなどあった。仕事の風景が好きな人だったんだなあ、と思う。

 

そして、美術館の建物が石で、ここも石か!と思ったのやけど、なんで石で建てたかというのが。

 

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住宅地に嘘みたいな登呂遺跡。

そして、昨日の雨と打って変わって晴天。

 

この登呂遺跡に隣接しているがために、遺跡となるべくなじむように石にしたと。建物の名前は石水館(せきすいかん)。館内で、はてなんだこれ?オブジェ?と眺めた窪みと中心に突き出た金属棒は、どうも噴水だったよう。

で、この建物の建築を担当したのが、白井晟一さんという方で、京都の方だった。

江之浦測候所でも、五条大橋の橋脚の石や、かつて京都の市電の敷石だったものなど見たけど、静岡・京都・石、がキーワードの旅になったなあ、など。

 

帰りのバスの時間が迫っていて、前日の雨でぬかるむこの遺跡の間を駆け抜けた。しんどかったけど面白かった。

(京都に帰って、翌日靴についた泥を見た時はちょっと嬉しかった。)

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あ、忘れてた。登呂博物館というとこで、「東海土器五十三次」というキャッチーなタイトルのも見ていた。

これはあんまりピンとこなかったけど、わたしは縄文土器より弥生土器の方が好きな気がするなあ〜と、レキシの「狩から稲作へ」の答えを初めて意識した。

 

静岡駅に戻って、またバスを乗り換えて向かったのは、その、いつも拝見しているブログで知った「つきさむ」というお店。

遠くにお城っぽいものが見える道や、商店街らしいところを通り抜け、バスがどんどん住宅地を過ぎて行く。

ここにあるのだろうか…?というところで、バスを降りたら、ほんとにあった!

 

つきさむ

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料理に対する感想とすると、すこし変かもしれないけど、空気の良い、見晴らしのいいところにいる気持ちになるような、瑞々しく潤んでいるような、そんなような食事だった。

ごはんも、デザートも、コーヒーもまんべんなくきちんと美味しかった。つくづくよいお店だった。通える距離に暮らしていたら、たぶん、月に2回は必ず訪ねる。

勇気を出して、ごはんの写真を撮ってもいいか聞いてよかった、と、見返して元気をもらうたびに思っている。

また、静岡へ行く機会が持てたら、必ず来よう、という決意を胸にお店を出た。

 

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そのあと乗ったバスがなかなかの古さで、えらい可愛らしかった。

敬愛するアキ・カウリスマキの色合いのようだ、と思わず撮影。

 

どうしたもんかな〜〜と思いながら、普段海を見ることがないので、海の近くまで行ってみよう!と清水の方へ向かうことにする。江之浦測候所や、その最寄り駅では、断崖の奥に海が見える、という感じで近づけなかったし。

 

ちびまる子ちゃんの街?なの?程度にしか何も知らず、途中電車に乗り換え、取り敢えず降り立った清水の駅は、全然海が見えなかった。

で、海の方に行くであろう、なんか突端っぽいところに向かうバスに乗り、景勝地らしいし、と三保の松原最寄りのバス停で降りる。

 

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海はどこかいな〜〜まだかいな〜〜と歩いていくと、とても歩きやすく舗装された、両脇に松の木がある遊歩道に出た。

松を見上げながら真っ直ぐ進み、遊歩道を抜けたところで、少し階段を上ると、海風で斜めに育った松林と、その奥に太平洋の水平線が見えた。

夕暮れ前くらいの時刻で、天から何か降りてきているような、美しい日差しの風景だった。

 

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呆然と、松を見上げたり、水平線を眺めたりしながら、心底から静岡に出掛けてきて良かったなあ、と思っていた。

 

ここの松の樹齢は150年から200年だという。

今回は、作ろうと思って作れるものではない時間の経過による稀有なもの、を、沢山眺めることができたな、と思う。

 

帰り、くたびれきってバスに揺られていて、たぶん五分もないくらいのひととき、うたた寝をしたら、目が覚めた瞬間、喉が痛くなっていた。

 

笠井珈琲店の冷たく甘いコーヒーとホットコーヒーのセットも、ジェミニーズのサンドイッチも、マリアサンクのケーキも食べてみたかった、と後ろ髪引かれる思いながら、ぎりぎり間に合って帰りのこだま号に乗車。

後続のにして、もうちょっとどこか行こうか、とも思ったけど、京都まで行くこだま号がとても少なく、これを逃すと帰り着くのが夜の10時過ぎ、とかになるので、風邪もひきかかってるし、おとなしく帰ることにした。

 

慌てて買ったサンドイッチは、パッケージ100点、中身20点でした。

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また来るよ、静岡。

とても楽しかった。

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ひと月前の静岡のこと

秋に熱海に行く、と書いて、

実際には熱海にはほんの少ししかいなかったけど、先月静岡の方へ出掛けてきた。

とても楽しい二日間だった。書き残したいと思いながら、丸ひと月経ってしまった。

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今思い返しても、あー楽しかったなあ、あー楽しかった、あー良かった、と延々つぶやきたいくらいに良かった。

静岡の駅で降りた時だったか、キオスクで見つけた安倍川パンを買った。

よくわかんないなあ、けど、初めて見るものを食べるのは嬉しいなあ、と思いながら、風の吹き付けるホームで食べた。旅が始まった感じがした。

静岡駅に着いて、ホームから出ずそのまま乗り換えて、根府川駅という初めて聞く駅へと急ぐ。

たぶんひとつ乗り間違うと、この旅行に出るきっかけであり一番の目的の、江之浦測候所にたどり着けなくなってしまう。

最初、Googleマップで行き方を調べている時には、静岡から熱海までまた新幹線に乗らなきゃ間に合わないと出たのに、乗り換え案内で検索して見れば間に合うと出た。色々調べてみるもんだなあと思う。

いつかまた、行くかもしれない自分の備忘録用に書いとくと、ぷらっとこだまは途中下車不可、出張パックは熱海に安いホテルなし、新横浜の出張パックにするか、静岡の出張パックにするかで静岡にした。もしまた行けるなら、今度は熱海に泊まってMOA美術館にも行きたいなあと思う。

で、静岡から鈍行で1時間半、もはや神奈川県の根府川駅にようやく到着した。

そこから送迎バスに乗せてもらって、江之浦測候所へ。

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すごい場所だった。

とにかく石だった。

まだ、造成中の場所もあって、そこで作業されてる方のジャンパーの背にも「石」って書いてあった。

自分が石材屋さんだったら卒倒していたのかもしれない。

お金のことを思うとクラクラするし、お金だけあってもなし得ないものだった。

あと、見てみたかった、杉本博司の劇場の作品が一点見られたのも嬉しかった。

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徹底的に石。

 

帰りのバスで一緒だった方と、小さな会話で電車を共にし、よければ熱海でお茶でも、と誘って下さって、熱海の真新しい駅ビルでパンとコーヒー。

連絡先など交わさず別れたけれど、またいつかお会いできたりするかなあ。

静岡の駅に戻った時にはすっかり夜で、ホテルに荷物を置いて、ゆうはんを食べに出掛けたけど、ぐるぐると歩き回った挙句、勇気が出なくて大戸屋に入ってしまった。

すこししょんぼりしながら歩いて、ここは旅先!やるならやらねば!と、今度は勇気を出して、行ってみたいリストに入れていたこちらに向かう階段を登った。

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めちゃくちゃに良いところだった。二階のお店の、窓際の席から繁華街を眺めて、心底出てきてよかった、と思っていたあの時間をまだはっきり思い出せる。

どっこい生きてる

(映画は観たことない)

 

死のうとか、死にたいとか思っていたわけではないけど、久しぶりにブログを、と思って、

タイトルにカーソルが合わさって浮かんできた言葉はどっこい生きてるやった。

 

ここ8年ほど、天井がおりてくる部屋にいて、全力で天井を押し返してるような24時間365日なので、まあ、命からがらとか、どっこい生きてるとか、そういうんが浮かぶのと思う。

 

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慢性的に辛くて、その中でも、劇的に辛い時期も幾度となくあって、

「ノーマル辛い」では、もっと酷い時があったのに、って、自分で自分を詰めて、浮かびかけた涙も引っ込んでしまう。

泣くに泣けなくて、白けてしまう。じゅうぶんに「ノーマル辛い」はずなのに。

 

で、酷く辛い目になんて、合わなくて済むなら、合わなくていいのだと、ここのところよく思う。

辛い目にあったから、強くなれるなんて、いらんのではないかと思う。

虎は崖から子供を落とさなくていいし、可愛い子も旅をしなくてもいい。

いや、旅はした方がいいかな。楽しいし。楽しいことの方が多そうだし。

 

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そうだ、秋に、熱海へ行くつもりでいる。ここ2年、関西から出ていないことに、はたと気付いて、雑誌で見かけた美術館のようなところの前売り券を買ってしまった。

どんなところかもよく分からないままに、行くことにしてしまった。お金の目処もないけど。

 

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できることも、貯金も、誇れることも、なんにもないけど、きのう33歳になった。

 

今は、遅れたお盆休みで、4日も休みがある。それの2日目。

 

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週休1日の身としては、驚異的な4連休。

これから帰って、洗濯と掃除しよう。

 

そして人生はつづく

(これも観たことがない。観てみたい。)

 

 

明日は頑張れますように

流れていくよう、どころではなかった。

時に濁流、今は急流ぐらいかな。

 

最後に書いてから、約1年。

さて、何から書こうか、と止まってしまう。

 

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今日は、休みで、家から歩いて3分のロイヤルホストに出かけた。

台風がきていて、激しい雨の降っている中、ランチタイムが終わるぎりぎりに滑り込んだ。

 

それで、金色の刺繍がはいったジャージのおじさんを含む、少しまっとうから外れていそうな話をしている三人組をちらちらと見ながら、ランチセットを食べた。

 

この家からごく近いロイホは、お昼間、宝塚の男役のような髪型をしたおばさまと、すこしふっくらとした体つきで、髪はおだんごに結わえてるおばさまという、素敵な店員さんがおられて、おふたりとも優しくホスピタリティを感じ、とても居心地がよく、ここひと月で3回訪ねている。こちらに越してきて約1年ずっと来なかったことを少し残念に思っている。(朝井リョウ加藤千恵オールナイトニッポンで、朝井さんがロイホの素晴らしさを語っていたことをふいに思い出して行った。主に懐具合からすると、わたしには少し過分ではあるけど、でも行ってみてよかった、朝井さんありがとう。)

 

で、今日はクレープクッションという、ファンシーな名前で手頃な価格の、とても美味しいデザートを食べながら、いしいしんじ「悪声」を読んだ。

 

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6月の末から少しずつ読んでいるのだけど、まだ中ほどを過ぎたところ。

手強くて、なかなかするするとは読めない。

 

今日、読んでいるところに、“石切”が出てきた。石切神社石切さん

そこで、祖父が「石切さんに行きたい」と言っていた様子が、ばっ、と頭に浮かんで、涙が出た。ロイホなのに。

 

祖父のお葬式のとき、棺に手紙を入れていい、と言っていただいて、手紙といっしょに、いしいさんのごはん日記のコピーを入れた。

祖父は、白菜漬けを作るのが得意で、毎冬、漬けてくれていた。

白菜漬けは、寒くなるほどに美味しくなっていく。毎年、毎年食べているので、家族は皆、とれくらいで美味しさのピークがくるかもだいたい分かっていて、一度、その一番美味しいと思うタイミングで、いしいさんに祖父の白菜漬けを届けた。

その日の、ごはん日記のコピーを入れた。

 

祖父に、コピーを渡してはいたけど、読んでくれていたか分からなくて、入れた。

読んだ?って聞けばよかったのにね。

 

祖父の命日まで、あと4日。

なかなか読み進められないでいたけど、今この時に、この部分を読むことができて良かった。

 

祖父のことを、きちんと思い返したり、考えたりしたいと思いながら、落ち着いて考えることができないまま一年たった。ここに書き記していた、祖父の最期のことも、なんというか、中途半端だと思う。

 

意識的に考える時間をとろうとすることは必要かもしれない、と思いはするけど、でも、区切りを決めたり、つけたりすることはないのだろうと、今日考えた。

少しずつ、祖父を思いたい。泣いてしまうから、避けているところがあったけど、少しずつ。

そうすることが、祖母や両親、母方の祖母とのこれからに繋がるのだろうと思う。

 

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毎日、美しいものを観てる。

冷たい接客をすることもある。

楽しく、お話しすることもある。

勉強が足りないと思う。好きこそ物の上手なれ、だろう、わたしは、うつわとか、好きじゃないんかもしれん、とか思う。

ままならないことばかりだと思う。

諦めてばかりだと思う。

それでもしぶとく、自分のどこかは望みを持っていて浅ましいと思う。

年齢からして、できることが少なすぎると思う。甘いのだと責めてみたりする。

 

毎日が、対自分で、自分でいっぱいで、

どこか遠くに行きたいと思う。移動したい。

 

ちょっとでも上手に生きたい。

よい習慣を増やしたい。

思うように生きられるはずなのに、環境が変わっても、

わたしのだめなところは、強靭で、なかなか変えられない。

 

石切さんに行きたい」と言った祖父に父は「歩けへんやろう」と言っていた。

石切さんは坂道にある。

 

歩いて、少しでも思うところに行きたいと思う。頑張りたい。

もう何年も頑張りたいと思っている。

明日は頑張れますように。

 

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流れていくようで

2015/10/12 月曜祝日

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お祭りに遭遇。
えいとーえいと。だったかな。
なんか、掛け声があって、わたしも言ってみながら自転車をこぐ。

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シャムキャッツのライブ。
芝生にぺたと座るため、ハローワークでもらった求人票を2枚重ねて敷いた。
(決してわざとじゃなくて、どうしてもこれしかなかった。)

じっと、部屋でひとり、YouTubeで繰り返し聴いていたシャムキャッツを、
こんな開けた場所で、尻の下に求人票を敷きながら、ライブで聴いていて。
ままならなくて、苦しかったことが、流れていくようで、すこし泣いた。

ここ1ヶ月ほどの間、嵐のようで、
じいちゃんを亡くし、わたしは職が決まった。
まだなにも実感がなくて、なぜ採用して頂けたのかも全くわからなくて、じいちゃんや、ご先祖様、八百万の神様とか、そういうことなのじゃないかと思ってる。
なにか、わたしがどうのとかじゃない、もっと大きいことのなかで、定めてもらったような、そんな。
来週には、妹の結婚式で。

もう、家とか、家族、とか、そういうような概念みたいなのが、
ごごごごご、と、音を立てて動いているような想像が浮かぶ。

ー ー ー ー ー

シャムキャッツは、バンドやけど、どこかそれぞれがバラバラで、
なんかいいなあと思った。
それぞれに、ふにゃふにゃとして、てん、てん、と、少し離れた位置にいて、広々としながらまとまっていて。

いいな、好きだなと思っていたギターの音は、たぶんストラトキャスターのものだった。視力の悪い目で、遠目で見たから、自信はないけど、たぶん。
今手元にないわたしのエレキもストラトだから、嬉しかった。
戻ってくるかな。いつか戻ってきたら、シャムキャッツを弾いてみたい。

柔らかそうなやつで

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2015/09/30 水曜日

弟の運動会へ。中学校。わたしの母校でもある。

たいして感慨に耽ることもなく、ああ、相変わらずグラウンドおっきいなあ、と思うくらい。
グラウンドは、大きい、ではなく、広いが適切なのだろうけど、
目の前にすると「おっきい」が浮かんだ。
ラグビーもできる広いグラウンドです。
ラグビーワールドカップ、日本代表のSH田中くんは同級生です。
応援しています。

んで、運動会は、ただ中学生はかわいらしいなあ、と思うのみだった。

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一応、弟を撮ろうと試みた結果がこれ。iPhoneじゃうつんないですね。ふふふん。

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「仲間のパワーは無限大」
ふーん、と思って。

母とパン屋に寄り道して帰る。
車でよく通る道を、「お母さん、ここ自転車で通るの初めて!!」と声を上げる母。
三度は言うてたな。

この道道、どうも小学生低学年くらいの下校時刻だったようで、
ちまちました子たちとたくさんすれ違った。

歩道の真ん中で、力強く仁王立ちをして、水筒からなにか飲んでいる女の子と、その横で白目をむいて立ってる男の子。

横断歩道を、右手の指二本ほどを挙げ、車へ視線を送りながら艶やかに渡る男の子。

通学帽(黄帽、きーぼう、と呼んでた)の上に、赤白帽をかぶった男の子。

ひとりひとりがみな愛おしかった。かわいい。ほんとかわいい。

帰って、コーヒー淹れて、遅い昼食にパン屋で買ったパンを母と食べる。
「クラスで一番足速いって言ってたけど、あれ、うそやな。2番、3番やなあ。でも、言ったらあかんな。ほめなあかんな。」と母と話しつつ、
ごほうび、と、弟の一番好きなクリームパンを残す。

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(インスタグラムには順調に切手をのせつづけています。)

2015/10/01 木曜日

出かける計画を立てていたけど、雨の予定とのことで、中止にする。
ひとりで行くので、ひとり会議であっさり決議。

きのうの行動だけで疲れていたようで、へばって1日終えたので、やめておいてよかった。
目標の場所は、駅からレンタサイクルで1時間とすこしはかかる予定なので、ほんとうにやめといてよかった。

でも、映画は行きたかったなあ。
映画の難しいところは、野を越え山を越えたどり着いたとしても、
眠ってしまうと夢と消えてしまうとこ。
うっかり眠ってしまいそうなコンディションでは行けない。

さて、明日は、久々に人との交流。
いらんことを言わないようにしたいなあ。

昨晩、眠りにつくかつかないかのところで、ツイッターに書き残していたことを、コピーしとく。

ー ー ー ー ー
呪縛って、呪い と 縛る、やもんなあ。恐ろしい。自縄の呪縛で自縛。じじょうのじゅばくでじばく。ここ何年間もそうかもしれん。解く、と、解るって同じ字か。わかるからほどけるのか、ほどけるからわかるようになるのか。

解ける、で、ほどける、とも、とける、とも読むのはなんで、と思って検索したら、「ほどけるとける」という本についてがずらずらと。解ける溶ける。融けるもあるね。ほどける、には、別の漢字があればいいのに。もう少しやわらかそうなやつで。
ー ー ー ー ー

柔らかそうなやつでどうか。
呪縛を解きたい。