遠くへ珈琲を飲みに行った

久しぶりに少し遠出をした。

とおで。なんかいい響き。

投函、図書、も、好きな響きの言葉と思ってるけど、もしや「と」から始まる言葉が好きなのだろか。


三重県四日市へ。

四日市って愛知県やっけ?とぼんやりと思っていた。三重やった。

高速バスも考えたけど、JRの鈍行乗り継いで。

初めて乗る路線にわくわくした。

古そうな車両の、二人座るには狭いようなちんまりした二人がけの座席に一人でかけて、持ってきたでかいおにぎりをふたつ食べた。

 

f:id:varjoja:20190204235126j:image


柘植から亀山、という区間を走る一両のワンマン電車の、運転席が見えるところに座ったら、線路を走る電車も、ちゃんと「運転」してるんやなあ、とたぶん初めて思った。

普段、いっぱい車両のつらなった、ながーい電車に乗ってると、よく分からへん、というか、考えもしてなかった。

幼い頃に見てたら運転士に憧れたかもしれないな。面白かった。

 

f:id:varjoja:20190204235359j:image


四日市の目的地は、BANKO archive design museum。

今日は出張大坊珈琲店

 

f:id:varjoja:20190204235458j:image


“yellow”という展覧会の会期中なので、併せて見られるかな、と、頑張ってちょっとだけ早めに行ったけど、今日は開いてなかったし、まだ前の回をやってはったので、周りを少し散歩した。

 

f:id:varjoja:20190204235917j:image

 

知らん町を歩いてる、知らん町を歩いてる、と繰り返し心で言う。

来る時に遠目に見えて気になるな、と思った和菓子屋さんまで行って、空きっ腹に(電車ででかいおにぎりをふたつ食べたのはもう霞のように消えた)珈琲はな、あかんよな、と、もちパイ(いもあん)というのをひとつ購入。

 

f:id:varjoja:20190204235842j:image

 

行儀悪く、ふらふらと歩きながら食べたけど、どのあたりがもちやったんか分からへんかった。さして美味くなくも小腹は満たされた。

 

f:id:varjoja:20190204235947j:image


あと、こっちのお店、勇気を出して入ってみたけど、お店の方出てこなくて買えなかった。

大入道せんべいの箱入りがすごかったんだ。買いたかった…。次来ることがあれば、ちゃんと大声ですいませーーーん!と言おう。


出張大坊珈琲店は、


薄めの珈琲

チョコレートのムース

濃いめの珈琲


という内容やった。

やかんの置かれたストーブを囲んだ四辺にテーブルが配され、三辺に3名ずつ、ぜんぶで9名の参加者が座り、大坊さんが珈琲を淹れはるところを皆で凝視した。


一度に3名分ずつドリップしはるので、合計6回。ほとんど話し声もなく、じいい、と眺め、静かに飲む。


大坊さんの珈琲は、豆を頂いて、自分でペーパードリップして飲んだことはあって、それでもなんて美味しいものかしら、と思っていたんやけど、大坊さんがネルで淹れはったものは、全く世界の違うものだった。

 

ちなみにカップは、バンコミュージアムの主である陶芸家の内田鋼一さんが作られた、今朝、窯から出したところ!というもので、手におさまりのよい、珈琲の色の美しく見える、なんとも言い難い淡い青のような色の、とても良いものだった。薄めの珈琲と濃いめの珈琲でカップの大きさも変えてあった。大坊さんのことも、私たち参加者のことも大切に思ってくれてるんだなあ、という気持ちになった。そんなことを何かわたしもできるようになりたい。


みな、珈琲を飲み終わったところで、一人ずつ大坊さんに質問を、というお話の時間があった。私は、“珈琲を生涯の仕事に、と、心に決められる瞬間みたいなものはあったのでしょうか”と質問した。

「サラリーマンを辞めて、店を始める、という時に、これで食っていかないと、と思った。その時は、食事が喉を通らなくなった。最初は、珈琲で食い扶持を確保して、他のこともしたいと思っていたけど、珈琲しかできなかった」というような答えを下さった。


あと質問の答えで心に残ったのが(質問自体はなんだったか忘れてしまった)、美味しい、というとき、何を捉えて“美味しい”と感じているかは人によって違って、それはその人自身のものであるということ。権威によって、決められるものではないと思っている、といったことを話しておられた。


ちょうど二日ほど前、中村一義の「君ノ声」の歌詞に、改めてガーーン、となったんやけど、それと重なることだった。私の美味しい、は私のもの。というのは、孤独なことやけど、だからこそ代わりはいないということ。そして、その奥に届けようと試みること。


そのほかの質問や感想の中で、大坊さんが珈琲を淹れる時の所作の美しさについて言ってはるのが二、三名あって、その時は、確かに確かに~、という気持ちでただ聞いてたけど、会が終わって、バンコミュージアムから駅の方に向かって歩いている途中、ふわ、と胸に浮かんできた感覚が、抹茶を一服頂いたあとのものと似ていて、ふとしばらく宙を見た。なんというか、珈琲とともに、生気のようなものを頂いてたのでは、と遅れて気付いたような心持ちになった。型を繰り返すルーティンの上にだけ込めることができる気持ちみたいなものがあるんやろうか。

同じ食べるということでも、

普段の食事で、栄養を得ていること、

また、板前さんのお料理で、食材の滋味を感じて力をもらった、と思うこと、というのと、一服のお茶の美味しさというのは、ひょっとしたらまったく別種のものがあるのかもしれない。

今ただただ不思議に思うけど、これからまたそんな瞬間を経験することができれば、もう少し、掴んだり、言葉にしたりできるようになるのかな。ほんとにこれはなんなんやろう。


今日、タイミングよく、この会に来られてよかった。点々と、自分の周りに広がるものに、手を伸ばし足を運び、あまり考えずにすくすくと動くこと。縁というもの。「日々是好日」で観た、手を信じるということ。そういうことが、最近思い浮かび考えている。


バンコミュージアム出てからは、いつも拝読しているカトーさんのブログで知って以来行ってみたいなと思っていた、ラジカフェというカフェに行った。

とても居心地良いところやったのに、電車の時間の都合でばたばたと出てしまった。(JRの四日市駅まで走った。間に合った。)

また、バンコミュージアムとセットで来たいなあと思う。ラップロールの生地が妙にうまかったな。時間が足りず、勿体無くもごくごく飲んでしまったけど、ラムクリームチャイも美味しかった。

 

f:id:varjoja:20190205001355j:image

 

さて2019年。平成31年。もう二月やけども。どうなるかな。

がんばんなきゃな。ちょっとは強くなれますように。

吉田神社の節分祭は今年も行けませんでしたが、行きたいなと思うところにはなるべく、すくすくと向かえますように。

絵を観て涙が出たこと

徳岡神泉 深遠なる精神世界

堂本印象美術館にて

 

f:id:varjoja:20181205202757j:image
f:id:varjoja:20181205202754j:image


絵を観て、じんわり涙が浮かんだことは、これまでもあったけど、ぽたぽたと落としたのは初めてだと思う。何も言葉が浮かばないで、涙が落ちる。

志村ふくみさんの着物が、左右両側に並ぶ展示を前に立って、ただ泣いた時と似ていた。

帰るのが惜しくて、引き返したりしながら、たぶん結局3周ほどまわった。


ああ、あの絵の前に立つと、また泣くかもしれない、と、そういう気で絵を観上げると、頭がもっていかれる感じがして、そのあとぽたぽた泣いた。

頭がもっていかれる、と浮かんだけど、全開になるというか、開ききって境目がなくなるみたいな、そんなことかもしれない。

何度かそういうことを繰り返して、くたくたもくたくたになってようやく、図録を買って美術館を出た。


涙が出たのは、全部大きな絵の前だった。大きな絵は、自分の寸法を小さくしようと試みずとも、そのままで包まれるようやから、いいな、と思う。わたしは、どこか飲み込まれたいと思ってるのやと思う。映画も大きなスクリーンで観るのが好きだ。


ここのところ、映画やなんかで、そこに何が映っているかということは、わたしの命が欲するかどうかということに、関係がないのかもしれない、ということを思っている。

美しいとか、感動するとか、素晴らしいなど、それは、「命が欲する」というものだと、先日に川口美術にて杉本貞光さんとお話しして教えていただいた。とても心にすとんと落ちるお言葉だった。

「命が欲する」ものは、焼き物であれば形などその見た目、映画であれば物語、絵であれば何が描かれているかで、そうなのか・そうでないのか、を感じとっている、はずなんやけど、目の前のものを命が欲している、愛おしいと思う、胸に抱きたくなる時、それがその形を取っていなくても、そう思うのではないかと、思ったりする。ということを、ここのところ思う、と言いたいのやけど、さっぱりうまく書けている気がしない。


ずさんなことを言えば、目に見えない何かによってもたらされる、そこに込められた気持ち、に由来する、となるけれど、果たしてそれでいいのか、もう少し、何か掬いきれていない、余地があるように思う。


今思うと、絵の前に立って、涙が出ていた時の感覚は、たしか生後1日か2日だった、友人の赤ちゃんに会った時の、途方もない無垢が目の前にあると思って感じたものと似ていたかもしれないなあと思う。真理というものは、無垢なんやろうか。

 

f:id:varjoja:20181205203118j:image

 

(追加)

友人の子に会ったのは、生後4日だった。その日の日記。

http://varjoja.hatenablog.com/entry/2015/08/30/213606

 

タイツを履いた

今日、今季初めてのタイツを履いた。寒い。

 

f:id:varjoja:20181120000608j:image


夕方、イオンモール大垣書店を取り立てた目的なくぶらぶらと歩いた。

 

初めて見かける「地域人」という雑誌の表紙に、いしいしんじ、の名前を見つけて、手にとって読んでみた。

4ページほどのエッセイで、いしいさんの知る、京都の人のことが書かれていた。

立ち読みしているすぐ目の前で、いま映画の評判が良いクイーンの短い映像が、雑な画質と音で繰り返し流れていたけど、途中その音が遠くなって消えて、読み終えて、はっ、として初めて音が戻ってきた。


音の遠くに行っている間に涙が出てた。いしいさんのその文章そのものと、中に出てくる人たちと比べて、今の自分がいかに「生きて」いないかが浮き彫りになった感じがした。

 

読み終えて、肩を上げて、ぷるぷるとしながら、涙をこぼさずイオンモールを出て、東寺道を東に入ってから、数メートルの間、声を上げて泣きながら歩いた。


帰ってから改めて、なぜ自分が生きていないと感じるのか、と浮かんだ。

前職を解雇される時に、恥を捨てて、どんなふうに拒否をされたとしても、批判をされたとしても、詰問されたとしても、洗いざらい気持ちを伝えてみるべきだったのだろうと、初めて思った。

怖くてできなかった。自分可愛さで言いたくなくて、それではあかんと思う自分を知らんふりして、ぶつからなかったと思う。精一杯、ではなかったかもしれない。

疲れ切っていて、そこまでやれなかった、踏ん張れなかった、と思ってもいいよ、と、自分に言いたいけど、まだ、それをすとんと飲み込めない。

 

せめて、ここからはまた、自分の思う精一杯でいよう。いつでも、なんでも。

 

f:id:varjoja:20181120001427j:image

 

f:id:varjoja:20181120001858j:image

いつもここから、という芸人さんのコンビ名は、いい名前だなあ、と年に一度か二度思い浮かべる。

今日はその一度か二度のうちの、ひとつになった。頑張ろう。

何がと言い切れないくらいそれは

三社、応募して、

古美術店は書類で落ちて、

食品の販売は面接行って落ちて、

残り一社はお返事待ちやけど、あれで受かるわけないわな、という話ぶりの面接をしてしまった。


食品の販売のは、今日履歴書が返ってきてたんやけど、かなり辛い。

前職のお得意様やったところの店舗のひとつに応募して、訓練校の方にもさんざん相談して、アドバイスを頂いて悩んだ末に、「解雇」だったことは書かず、言わずに受けた。

多分、前職の勤め先に何らかの連絡が行ったと思う。そういう間で、前職の同僚から就活どう?という連絡が来た。


受けたアドバイスを自分なりに納得して、その方が前の勤め先にも迷惑をかけなくて済むだろうと考えた末のことやったけど、今頃あの嘘つきとまた言われているのだろうと思うと、悲しいというか、辛いというか、苦しくてしょうがない。

生活するために、もう、気持ちを変えて、また新たなところを探すしかない、とは思うけど、後悔と、行き場のない弁明が心の中にある。


こういう時は歩くといいらしいと、人に教えてもらったこともあるし、何かで読んだこともある。

とりあえず、今夜は歩いて帰ってみようと思う。

あーそんな事もあったなあ、とこの日記を読み返して思い出している、未来の自分を想像してなんとか切り抜けたい。

 

f:id:varjoja:20181102204413j:image


「寒」の像。

時折思い返していた像を十数年ぶりに観に行ったけど、やっぱりおもろいもんは何年経ってもおもろかった。

けど、おもろいものも、何も心に響かない。早く、抜け出したいなあ。つらい。

何がと言い切れないくらいそれは。

ガラスカップのプリン、かぼちゃのプリン

今日は、面接ひとつ(面接の単位は一件?一回?)行って、帰ってから倒れるように5時間、寝る寝そべる寝るだった。


いざ出発、と、外に出て初めて、母に借りたパンプスが歩くとかかとぱかぱかするのに気付いて、ティッシュを詰め込んでなんとか歩いたけど、今、左足の指先などがぼろぼろ。

借りるときに、その場に立って足踏みするくらいしかせずに、歩き回ってみなかったことをとても後悔した。

今日の疲れの半分は、まともに歩けなかったこのことに由来する気はする。ああ草臥れた。

2週間前の日曜に階段から落ちて(結局病院行かへんかった)痛めた右足の指先がようやく曲げられるようになったところやったのにな。よぼよぼ。


そうだ、先週の木・金・土曜と、美味しいもん食べたこと、土曜を書いてないままだった。1週間前の今日は、翌週こんなことになっているなんて思いもせず、うはうはとモーニングのあとにプリンも追加してたのだった。


ここのプリンが大好きで、今までに何度か食べてるのやけど、今回初めて「そのままですか、お皿に出しますか?」と聞かれて、頭上にはてながみっつぐらい浮かんでたと思う。


これまで、ガラスのカップに入ったものしか食べたことがなかったのやけど、お皿に出すと何やら不思議と食感が変わるとのことで、今回はお皿でお願いした。ら、ほんとにいつもと随分と違う感じがして面白かった。

器から解放されて、柔らかいというか、緩んだ感じがあるような気がした。私はかたいプリンを好むので、たぶん次からはカップのままをお願いすると思います。どっちも美味しいんやけど。どっちかというなら。

 

f:id:varjoja:20181027222028j:image


採用してもらえるかなあ。とてもいいな、と思ってたはずのとこやけど、いざ眼前に迫ると、ほんとにこの道、こっちの方向でいいのかなあという、迷いがほんのりと覆い被さっている、し、不採用になりそうな予感もしていて、そうなったら落ち込むだろうなあ、となんだかどこかしょぼくれた気持ちでいる。

明日は、ロイホのモーニングに行こう。本を読もう。楽しいことを考えよう。


ああ、最初の方に書いた、「かかとぱかぱかするのに気付いて」は、「かかとかぱかぱ」が正解やんな。ぱかぱかしたら、お馬や。ちょっと気に入ったので、直さないでこのままかいておこ。

 

f:id:varjoja:20181027222114j:image


最後に今日食べたプリン。ワルダー(パン屋)のかぼちゃプリン(期間限定・今季2度目の購入)。こないだ食べて美味しさにびっくりしたので、今日面接の後瀕死になりつつ買って帰った。

美味しかったなあ。図らずしてプリン日記になった。

どうしてますか

気持ちがそわそわと落ち着かない。


今朝、履歴書を速達で一通送った。

夕刻、求人の応募フォームから一社申し込みをした。


履歴書を送り、また、応募フォームから申し込みをした自分を労おうと、帰り道にいそいそとシュークリームを買った。

そのビニール袋を腕から下げ、あ、切らしているドリップパックのコーヒーも買っちゃお~と、スーパー目指してぽてぽて歩いていると電話がかかってきた。30分ほど前に応募フォームから申し込んだばかりの会社からだった。コーヒーは買い忘れた。

 

f:id:varjoja:20181023224835j:image


結局紅茶と食べた。クロバーのシュークリームは美味しい。

美味しい、という以外に、この美味しさを人にどう伝えていいか分からない。

写真もわたしでは冴えない感じにしか撮れない。

たまご!やさしい!おいしい!みたいな。たまに買って食べては、やっぱりいいもんだなあと思う。


先週の木金土曜と美味しいものを食べた記録、金曜の分。

金曜は、まっすぐ帰ろか迷いつつ、前日の夕はんのお礼のお手紙を出そうと郵便局に寄った足で、やっぱりセルジュの前までだけ行ってみよう、とそのまま東へ向かった。

セルジュは、主なメニューがケーキと飲み物だけのカフェ。

表にモンブラン売り切れ、とある。けど、タルトタタン、は売り切れ、と書いていない。

まだありますか、と扉を開くと、他にお客はおらず、今日はマスター何やらご機嫌で鼻歌みたいなの歌ってはった。


タルトタタンは、ほかはラ・ヴァチュールのしか食べたことがないので、あまり比べられないのやけど、もう、まあ、わたしの人生一位のタルトタタンとなりました。

パイ生地にのる、飴色につやつや光るりんご。パイ生地、りんご、クリーム、とみっつあわせて口に入れた。紅玉でしか作らへん、と言ってはったけど、ほんと、気持ちのいい酸味があった。贅沢したなあ。


これから、たぶんなかなか流れの速いところを行くから、こういうの励みにしていかなくちゃな。


あ、煎じ薬も、2倍量のを無事煮出した。平気で飲めた。怖がらずに行こう。大丈夫。

夜に猫町へ

月曜日。

訓練校は仕事の決まった人と、差し迫って働かなくても大丈夫な人がほとんどなようで、差し迫って働かなくてはならないのに今日までずるずるときて、応募すらしていないのは私だけではないかという感じ。


今日はとてもくたびれた。

1時間居残りし応募書類の作成を行い(終わってない)、薬がなくなったのでお医者さんにも行った。

しかし1時間居残りしても、たいして物事が進まないのは、あれはなんでだろう。1時間残業しても、仕事が進まないのも然り。

お医者さんでは、薬の量が2倍になった。理由は寒くなってきたから。季節が変わっていってる。2週間前、はじめての煎じ薬で最初えづきながら飲んでたのが、今全然平気。

薬2倍になったけど、水の量2倍にすんのか聞くの忘れた。まあ、濃いのを飲んでも、量を増やしてもどっちでもいいんやろう。飲めそうな気はするな。はっは。


なんか、ここに再び書きはじめたのはいいけど、しょぼくれたことばかり書いているので、良かったことを書いておこう。

先週は、木・金・土曜と3日間連続ですこぶる美味しいものを食べた。


木曜は、夜、猫町へ。

10年ほど前に一度か二度と行ったきり、というお話をしたら、じゃあ次は猫町へ行きましょう、とお連れ頂いた。

10年と少し前訪ねた時には、薄暗くておしゃれな大人のお店だと、ただただドキドキしてた。

今回行って、薄暗いのではなく、ほのあかるい、のであり、おしゃれというよりも、とても味わいのあるところだと思った。見えていなかった、分からなかった美しいものが見え、といって、こちらを緊張させることのない、柔らかさと愛嬌あるものの並びと取り合わせに感嘆するばかりだった。

料理は全てに魔法の粉がかかっているかのような、脳がくらっとするような強い美味しさのあるものばかりだった。

店の雰囲気もあいまって、出る時にはちょっと外の世界がずれていそうだと、そして、たとえずれていたとしても目の前の料理を食べていたいと惹きつけられるような美味しさだった。


カリフラワーとパプリカのスープ。豚のリエット。小芋とさつまいものグラタン。マグロほほ肉の炭火焼き。赤足エビのフライ。ごはん、おつけもの。さつまいもとりんごのタルト。チーズケーキ。ほうじ茶。以上三名で。満腹も満腹だった。


しかし何がどうしてあんなに美味しかったのかわからない。先々週、階段から落ちた甲斐があった、いや違う、落ちたのも報われたな、なんて。


さつまいもとりんごのタルトは、タルト生地とフィリングの間に、ほろ苦いキャラメルが流し込んであって、タルト生地がリッチでしっかりしているから、フロランタンの趣があった。フィリングのさつまいもとりんごはしっとり濡れてた。思い出すだにうっとりする。


あかん。簡潔に要点をまとめて書くことができない。まだ木曜のことしか書いてないけど、今日はこれにて。


あ、写真は一枚も撮っていません。ので、歩いてて見かけたコロッケ定食の写真を。なんかこれだけ安かった。おいしそ。

 

f:id:varjoja:20181022222154j:image