エフィッシュ

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エフィッシュ。

たぶん、片手で足りるほどしか行ってないのやけど、10月16日で閉店されると知って、行っておきたいな、という気持ちになって久しぶりに。何日か前の平日夜に行って、すんなり座らせてもらえた。

 

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最後に訪ねたのは2年前だった。

ツイッターで確認したけど、分かりにくい写真とぼんやりした言葉しか残してなくて、探すのに苦労した。

今後は恥ずかしがらず、ちゃんと店名を書いて残そう、と思う。


この時も、今回も同じものを頼んだ。

ツナ・アボカド・カッテージチーズのサンドイッチとスープのセット。

とっても美味しく量もたっぷり。たぶん、食べる量が人並みな女性だと、一人で食べきるのは難しいかもしれない。

(書き終えて、読み直してみて、そもそも一人で来る人がとても少ないんじゃ…と思ってちょっと切なくなりました。)

 

スープは、クラムチャウダーか、日替わりのものかが選べて、この日は豚肉のブラウンスープで、そちらにした。ちゃんとサワークリームがぽっちり浮かべてあって嬉しい気持ちなる。

 

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サンドイッチの付け合わせの紫キャベツのピクルスと、マッシュポテトも美味しい。

ちょうど調理されるカウンターうえのライトが当たっている位置にこのピクルスの瓶が置かれていてとてもきれいだった。ほどなくして、カウンター内にしまわれて、ちょっと残念に思った。


マッシュポテトは、たぶんしこたまチーズが混ぜ込まれていて、乳脂肪の味!太るぞうー!という感じで、背徳感のあるうまさで好きだった。(もしかして、生クリームも入ってたんじゃないかな)そんなにたくさんは盛られていないところも、良いのだった。


値段もまあまあ高い…と思うんやけど、食べた後はこんなお洒落なカフェのごはんとは思えないくらい満腹にさせてもらえて、十二分に納得の価格やな~と毎度思ったのやった。


それでも季節の果物の飲み物は、値段に怯んで頼めなくて、最後の今日こそ!と思ったものの、寒くなり始めたこの日、チャイがメニューにあったので、そっちを頼んでしまった。

別添えで砂糖が出されたけれど、これのどこに入れろと、というくらいしっかり甘くて、それも良いなあ、と思った。砂糖入れもとても素敵だった。

 

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店員さんに、写真を撮ってもいいですか?と聞いたら、なんて言葉やったのか忘れてしまったけど、なんかとても可愛く「良い」という旨のことを言ってくれて、心に残った。なんて言うてくれはったのか、すぐ書き留めればよかったなぁ。

前にいくつか動画を見た、インリビング、というユーチューブの女の子にとても似ていた。かわいかった。

 

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エフィッシュのことに関係ないけど、最近、前までなら怖い、と思っていたような高校生を、男女ともにかわいいなあ、と思うようになってきた。

そういうことで、自分が歳を重ねてることを感じたりする。自分に出来ることが増えた、とかではないことがちょっと悲しい。でも、若い人はかわいい。たまに、おじさんやおばさん、じいちゃんばあちゃんもかわいい。(とはいえ、好き嫌いがはっきりしてると思うので、博愛には遠いと思う。)

 

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今日は、新しい職場に勤め始めてから、初めての休日ふつかめ。明日はまた仕事。

きのうは、18時間眠った。

今日はなんとか午前中に起き上がり、ぎりぎりロイホのモーニングに駆け込んだ。

 

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いつもより贅沢なメニューを頼んだ。ベーコンやソーセージ、目玉焼きにも、シロップがかかった状態で、では食べられなかった。パンケーキを残して、そのほかを最初に全部食べてから、シロップかけた。異文化に挑戦できなかったな。マックグリドルも食べたことないし。

一服して立腹

なんてださいタイトルやろう。

まあええか。

あんまり、あれ嫌いとか、美味しくなかったとかは書かないようにいたいと思っているけど、今はムジカフェに憤っている。

 

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紫芋のタルト。これもしや、タルトの土台部分は店で作ってなくて出来合いので、クリーム絞って終わり、で作ってるんではないか。

袋入りで売ってる焼菓子のような、バターのかけらも感じられない、しっけしけでヘナヘナの土台に、乳成分のとぼしい様子のクリーム、紫芋のクリームはそれだけで口に含めばその香りがするけど、全体で食べると見事に殺される。

こないだ、久々にチーズケーキ食べて、結構美味しいなあ、と思ったので、いそいそもっぺん来たけど、全然やないか、と立腹。


って、立腹、と書こうとして、りっぷく、まできっちり入力してんのに、リップグロスが変換の候補の一番に出てくるiPhoneなんなんや。iPhoneって書こうとして、アイフォンやとでてこうへんくて、アイフォーンやったら出るんなんなんや。(この日記はアイフォーンで書いています)


ああ、変なクリーム食べたから、食べて数分の今、もう胃が重い。気持ち悪い。

もう今度からはチーズケーキか、プリンにする。プリンは無事なのやろうか。美味しいままやろうか。

しかし、こないだチーズケーキに添えられていたクリームはこんなんじゃなかったから、タルトに乗せるクリームと使い分けているのか。ますます悪どいやないか。クリームのやらかさ、扱いきれへんのか。何日か日をまたいで売るのか。


気持ち悪いので、口直しにソフトクリーム…とよぎりかけるも、今日は家で午前にラミーのアイスも食べているのである。

それで、そのアイス食べながら、明日は、美味しいデザートのあそこに行こうとも思ってるし、今日はもう、甘いもん食べたらあかんなあ、などと思っていたことを、この紫芋のタルトを手に座席についたところで思い出して、自分の阿呆さにげんなりして、そのあと食べてこれやからもうたまらんのである。


ぶつぶつ言うついでに、最近おもにインスタグラムでよく見かける、「美味しいかった」っていう、あれはなんなんや。新しい言葉の使い方か。悲しいかった、嬉しいかった、とかも言うのか。最初は見間違いかとおもたけど、そして、その人その時だけのことかとおもたら、頻繁に目につくねんけどなんなんや。


ムジカフェのことに戻るけども、チーズケーキは結構美味しかった、っていうても、型に流し込んだ時のやり方がずさんそうなのは、食べていて、ん?とはおもたん。生地の味が大丈夫で、焼けてりゃいいから、良かったけど、実の伴わないオペレーション?っていうのか、誰でも簡単にやれる、それでいけるような仕組みにし過ぎてるんじゃないやろうか。内情なんにも知らんけど。ああ、身体が気持ち悪い。やなもの食べるとてきめんあかん。

 

ああ、バターバウムのこともなんやねん、と、思ってたのやった。無印のバターバウム、最初は油脂がぜんぶバターやったのに、ほんますぐ、半年たたへんくらいで、値段下がったと思ったら、バターバウム、の名前のままで、ショートニングも入るようになってたし。気付かんと買ってしもたし。バターだけのやつ、美味しかったのによう!!


あ、ほんとは、こないだ行った保坂和志さんのトークライブで聞いたこと考えたことなど書き留めておきたかったのに、立腹の勢いのほうが遥かに強い。また今度。

 

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(夏がいつまでも終わらない。今日はちょっとまし。)

カステラの切れ端が入った小箱のような生活

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カフェ セルジュのさつまいものモンブラン

一番下にメレンゲ的な焼き菓子、生クリーム、さつまいもを煮たもの、さつまいもクリーム。

注文をお願いしてからクリームを絞ってくださるので、メレンゲ部分が嘘のようにさくさく。生クリームとさつまいもクリームの甘みのバランスが奇跡みたいやった。

 

ひとくち食べて、これを忘れるわけにはいかない、と一枚だけ写真を撮った。

歳を重ねて、わたしは、どんなに美味しいものも嬉しいことも、なにか手がかりを残しておかないと、綺麗さっぱり忘れ去るようになると気付いた。

ので、はやる気持ちをおさえ、一枚だけ撮った。

心の中ではあはあ荒い息をつきながら、頭の中はもう星がいくつも回っていて朦朧としていた。あまりにも美味しい。そうや、セルジュのお菓子はこうやった…と呆然とする。

 

だのに、かれこれ9ヶ月くらいは来ていなかった。

お世話になったのに、余裕を失いまったく来れなかった。

いの一番に、羊羹持ってたずねるべき方だったのに、合わせる顔がない…と、その後無職になってからも三週経つ今日までこれなかった。

 

ほんとは、少しでもお客さんの少ない平日にいこうと思っていたし、今日(土曜・三連休初日)行くつもりじゃなかった。

 

そう頭で思っていても、動くときは動くもんで、鍼を終えたその足で、手土産を買う方向のバスにふらふらと乗りこんだ。

午後2時過ぎという、「お茶の時間」ど真ん中の時刻にも関わらず、うまく席の空いているタイミングにおじゃまできて、少しお話もできた。

お話できた、と言っても、あわあわしてしまって、お伝えしたいと思っていたことの上をつるつる滑るようなことしか言えなかったけど、お顔を見れた、お目にかかれた、ということで、なんだかとてもほっとした。

ほっとしたし、満席になっていたので、また、次はこんなに日を開けずに参ります、と、そそくさと失礼した。

 

手土産は羊羹じゃなく、カステラ持ってった。

 

これはおまけでくださった小箱。

カステラの切れ端入ってた。

小箱というので、ただでさえフエラムネのおまけ的わくわく感(そういえば、ちょっと前に突然フエラムネ食べたくなって、久しぶりに買って食べた。おまけの箱含め総じて良かった。)があるのに、中身がカステラの切れ端って、平和の針が振り切れている。

 

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ぱかーん

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お菓子屋さんに手土産でお菓子ってどないなんや…と思いつつ、切れ端食べながら、うんまいしやっぱりこれにして良かった気がするナーとか、思う。

 

さて、ご挨拶せねば、と思っていた先はこれでほぼ終わった。

 

カステラの切れ端が入った小箱のような生活を、極私的平和を目指して、

部屋の片付け、職探しに邁進する所存!

と、おそるおそるここに表明。

差し出せるもの

月曜午後2時半、ロイホで昼ごはん。

離職票が今日やってくる、はず、と思っていたけど来ず拍子抜け。

む、無職なのにな、と葛藤しながら、このまま寝そべってしまうよりは、と、のそのそ這い出てきた。

関東地方は台風。

日本に来ていて、自分に全く影響を感じない台風って、今までの記憶にないような気がする。だいたい何はなくても、普段は感じない風だなあ、くらいは思った気がする。あ、実は夜のうちにあったんだろうか。


至近のロイホは最近、心持ちリニューアルが施され、大きな窓から見えるケヤキの並木を眺めやすい小さな席ができた。

一人で行くので、今日もその小さな席に案内してもらえたのやけど、先客のおじさんが緑の見える窓に、背を向ける方向で座っているために、わたしが緑の方へ向いて座れば、おじさんとばっちり対面することになるし、そんな勇気はないのでしぶしぶ緑に背を向けてかけた。


仕方なくドリンクバーを眺めて、食事をしていると、カトラリー入れにスプーンがなくてフォークが2本。店員さんにお願いするのも煩わしく、スープスプーンで食べる。無論食べにくいそれですくった人参は、はっとするほど味がなかった。見た目が人参の、別のもの、というくらい味がなかった。ディストピア感というのか、未来の食べ物を思った。

背後では、おじさんがパソコンを使用しながら、追加注文したクリームあんみつをすするように、妖怪を思わせる咀嚼音を立てながら、ちびちびと食べている。


なにかちょっとずつズレてんな、こういう日は気をつけないとな、と思っていると、おじさんが帰ったので、すかざず向かいの席へうつる。

 

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ゆれる緑を眺めてほっとしながら、さっき店に入ってきたときにレジで精算していた孫・母・祖母らしき3人連れのようすを思い出したり(20歳超えてそうな、ちょっとだけ派手な格好の孫が、母が支払いする横で、おばあちゃんにパンチ!パンチ!ってして、おばあちゃんも同じようにしてた。かつてそうだった、の再現・再演のようだった)、

昨日ひさびさに乗った阪急神戸線の車窓から見た、飛び立って行く飛行機(京都では、豆粒のような大きさの飛行機を見ることしかない)を思い出したり、した。

 

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これは今日の京都の空。飛行機はいないと思う。


昨日は、六甲のギャラリーへ吹きガラスの展示を観に行った。

初めて訪ねたそのギャラリーは、マンションらしき建物の一室、それも二階にあるのに、外には一切の看板が出ていなかった。(見落としたんかな。)

そういう素っ気なさというか、高潔な感じが店内にも張り詰めていた。

少しびくびくとした気持ちながら、美しい物を眺めていると、長年の憧れであった料理家の方が入ってこられた。

きょうの料理なんかでも、こちらのギャラリーの方と一緒に出ていらしたし、もしや、お目にかかれるのでは、などと、ふわっと思い浮かべて、でもさらさらと流れて忘れていた。

テレビで見ていたとおりの佇まいで、真となりに立たれたとき、自分と同じくらいの背丈かな、と思った。想像したより小柄な方だった。

わたしが、半歩にも満たないほどわずかに後じさると、小さく「ごめんなさい」と言って前を通られた。大好きです…!と全身で思った。念じたっていうか。口には出せなかった。

 

5分か10分か、それくらいのこと。居合わすことができて僥倖だった。

 

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ギャラリーは撮影禁止だった。近くの神社で。

 

何か、差し出せるものを持てたときに、またいつか、お目にかかれたら。できるかなあ。

とりあえず琵琶湖は見といた

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水曜日の鍼で、先生から動けなくてもとにかく自分を責めたらあかん、

責めるぐらいなら、のんきにああよく寝たと思ってる方が100倍いい、と言ってもらって、

木曜日はいつもよりはのんきに死に体でいられた。

寝そべりながら、ほんとはあれもこれもやりたいのに、やらなあかんのに、と思っているのは、情けないことやけど本当に疲れる。

 

今日、金曜日は午前中から弟の文化祭を観に出掛けられた。

考えていた時刻には家を出られず、遅刻気味ながら、ちゃっかり小川珈琲でテイクアウト。

 

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レモンケーキ、あっっっまかった。さすが珈琲屋がつくる珈琲用の菓子、という感じ。

 

弟は、京都の公立高校行ってるけど、なんでか文化祭は大津市民会館。

 

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この写真の奥に見えているエトワールという喫茶店で母と祖母と3人で珈琲飲んでから帰った。

今日ふんばって出てこれたのは、母と祖母と弟の催しを観るなんて、これからそう機会がないよなあ、と思って。

 

弟が文化祭でやってたのは演劇で、それについてはなにも言うべきことが浮かばへんし、良い悪いはわからんけど、まあ好きではなかった。

あと、最近の高校生はずんぐりむっくりな人が見当たらへんかった。最近の若い人は頭身が根本から違う気がする。そういう点でも、ネットを介した人付き合いが避けられないという点でも、今高校生でなくて良かった、ああ良かった、と切実に思う。

(とは言え、自分の高校生の時の文化祭どんなやったか思い出そうとしても、ひとつふたつしか事柄が浮かばないくらいに記憶がない。あの社会に身を置かなくていい今に、改めて安堵した。)

 

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しけたことばっかり書いてしまった。

とりあえず、琵琶湖は見といた。

なんやかや、年に一回くらいはこうして大津に来て琵琶湖見てるな。

しかしあまりにも暑くて早々に退散。

 

母、祖母とは京都駅で別れ、家を出る前に洗濯槽クリーナー放り込んできたので、帰って続きする。

合間、ロイホでハンバーグのランチを、今日ははっきりとごはん大盛りで!と注文し、全部あっさり食べて、帰って掃除機かけた。

 

動けてよかったなぁ。

考えなあかんこと、動かなあかんことはあるけど、ひとまず今日はえらかった。

まともに生活することに、一歩一歩近づきたい。

おおきなもののほとんどは

また失職した。

っていう書き出しもどうなのかと思うけど、まあ、その。八月下旬に退職して、八割がた死に体の毎日である。

 

いつまで続けられるか判らない、と思いながら、こわごわ一ヶ月ずつ通勤定期を買っていたので、ほどよくバスの定期も切れてしまって、今夜は実家から、久し振りに徒歩で帰宅した。

 

その途中、みなみ会館があるので、これは、と思い、そろり、前を通ってみた。

 

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九条通りに面したところに素敵なちらし入れがあって、この、再開カードをあの人と、あの人に送るぶんと、自分のと…と頂いて、さて、と歩いたところで外階段を知った人が降りてきた。

「やまもとさん!やまもとさん!」と二度呼んで無視されて、「おお、藤原さん。不審者は無視しようとおもった」と言われながら、ネットで見ておしゃれで入れへん…と思っていた館内に入れてもらった。

最終上映の終わったロビーで、おしゃれですねえ、とびくびくしながら、上映スケジュールと「サタン・タンゴ」のちらしをもらう。

 

3つあるスクリーンのうち一番大きいところでは今週「ボヘミアンラプソディー」がかかっているそうで、未だ観ていなくてそれは来たいです、と言うと、無類のクイーン好きである今やベテラン映写技師のやまもとさんは「今日もこれ着てるねん」と、フレディが王様の格好をしたかわいいTシャツの胸を張った。

そういや、やまもとさんは、上映作品にあわせてTシャツを着てくる人だった、人生楽しい人だった。やっぱり見習いたい人である。

 

無職なので、またちょいちょい日記を書きたい。ほんとは、無職じゃなくても書きたい。

リハビリなので、今日はこのへんで。

あ、タイトルは大して意味はないです。

明日はもうちょっと元気で過ごせますように。

 

 

遠くへ珈琲を飲みに行った

久しぶりに少し遠出をした。

とおで。なんかいい響き。

投函、図書、も、好きな響きの言葉と思ってるけど、もしや「と」から始まる言葉が好きなのだろか。


三重県四日市へ。

四日市って愛知県やっけ?とぼんやりと思っていた。三重やった。

高速バスも考えたけど、JRの鈍行乗り継いで。

初めて乗る路線にわくわくした。

古そうな車両の、二人座るには狭いようなちんまりした二人がけの座席に一人でかけて、持ってきたでかいおにぎりをふたつ食べた。

 

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柘植から亀山、という区間を走る一両のワンマン電車の、運転席が見えるところに座ったら、線路を走る電車も、ちゃんと「運転」してるんやなあ、とたぶん初めて思った。

普段、いっぱい車両のつらなった、ながーい電車に乗ってると、よく分からへん、というか、考えもしてなかった。

幼い頃に見てたら運転士に憧れたかもしれないな。面白かった。

 

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四日市の目的地は、BANKO archive design museum。

今日は出張大坊珈琲店

 

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“yellow”という展覧会の会期中なので、併せて見られるかな、と、頑張ってちょっとだけ早めに行ったけど、今日は開いてなかったし、まだ前の回をやってはったので、周りを少し散歩した。

 

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知らん町を歩いてる、知らん町を歩いてる、と繰り返し心で言う。

来る時に遠目に見えて気になるな、と思った和菓子屋さんまで行って、空きっ腹に(電車ででかいおにぎりをふたつ食べたのはもう霞のように消えた)珈琲はな、あかんよな、と、もちパイ(いもあん)というのをひとつ購入。

 

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行儀悪く、ふらふらと歩きながら食べたけど、どのあたりがもちやったんか分からへんかった。さして美味くなくも小腹は満たされた。

 

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あと、こっちのお店、勇気を出して入ってみたけど、お店の方出てこなくて買えなかった。

大入道せんべいの箱入りがすごかったんだ。買いたかった…。次来ることがあれば、ちゃんと大声ですいませーーーん!と言おう。


出張大坊珈琲店は、


薄めの珈琲

チョコレートのムース

濃いめの珈琲


という内容やった。

やかんの置かれたストーブを囲んだ四辺にテーブルが配され、三辺に3名ずつ、ぜんぶで9名の参加者が座り、大坊さんが珈琲を淹れはるところを皆で凝視した。


一度に3名分ずつドリップしはるので、合計6回。ほとんど話し声もなく、じいい、と眺め、静かに飲む。


大坊さんの珈琲は、豆を頂いて、自分でペーパードリップして飲んだことはあって、それでもなんて美味しいものかしら、と思っていたんやけど、大坊さんがネルで淹れはったものは、全く世界の違うものだった。

 

ちなみにカップは、バンコミュージアムの主である陶芸家の内田鋼一さんが作られた、今朝、窯から出したところ!というもので、手におさまりのよい、珈琲の色の美しく見える、なんとも言い難い淡い青のような色の、とても良いものだった。薄めの珈琲と濃いめの珈琲でカップの大きさも変えてあった。大坊さんのことも、私たち参加者のことも大切に思ってくれてるんだなあ、という気持ちになった。そんなことを何かわたしもできるようになりたい。


みな、珈琲を飲み終わったところで、一人ずつ大坊さんに質問を、というお話の時間があった。私は、“珈琲を生涯の仕事に、と、心に決められる瞬間みたいなものはあったのでしょうか”と質問した。

「サラリーマンを辞めて、店を始める、という時に、これで食っていかないと、と思った。その時は、食事が喉を通らなくなった。最初は、珈琲で食い扶持を確保して、他のこともしたいと思っていたけど、珈琲しかできなかった」というような答えを下さった。


あと質問の答えで心に残ったのが(質問自体はなんだったか忘れてしまった)、美味しい、というとき、何を捉えて“美味しい”と感じているかは人によって違って、それはその人自身のものであるということ。権威によって、決められるものではないと思っている、といったことを話しておられた。


ちょうど二日ほど前、中村一義の「君ノ声」の歌詞に、改めてガーーン、となったんやけど、それと重なることだった。私の美味しい、は私のもの。というのは、孤独なことやけど、だからこそ代わりはいないということ。そして、その奥に届けようと試みること。


そのほかの質問や感想の中で、大坊さんが珈琲を淹れる時の所作の美しさについて言ってはるのが二、三名あって、その時は、確かに確かに~、という気持ちでただ聞いてたけど、会が終わって、バンコミュージアムから駅の方に向かって歩いている途中、ふわ、と胸に浮かんできた感覚が、抹茶を一服頂いたあとのものと似ていて、ふとしばらく宙を見た。なんというか、珈琲とともに、生気のようなものを頂いてたのでは、と遅れて気付いたような心持ちになった。型を繰り返すルーティンの上にだけ込めることができる気持ちみたいなものがあるんやろうか。

同じ食べるということでも、

普段の食事で、栄養を得ていること、

また、板前さんのお料理で、食材の滋味を感じて力をもらった、と思うこと、というのと、一服のお茶の美味しさというのは、ひょっとしたらまったく別種のものがあるのかもしれない。

今ただただ不思議に思うけど、これからまたそんな瞬間を経験することができれば、もう少し、掴んだり、言葉にしたりできるようになるのかな。ほんとにこれはなんなんやろう。


今日、タイミングよく、この会に来られてよかった。点々と、自分の周りに広がるものに、手を伸ばし足を運び、あまり考えずにすくすくと動くこと。縁というもの。「日々是好日」で観た、手を信じるということ。そういうことが、最近思い浮かび考えている。


バンコミュージアム出てからは、いつも拝読しているカトーさんのブログで知って以来行ってみたいなと思っていた、ラジカフェというカフェに行った。

とても居心地良いところやったのに、電車の時間の都合でばたばたと出てしまった。(JRの四日市駅まで走った。間に合った。)

また、バンコミュージアムとセットで来たいなあと思う。ラップロールの生地が妙にうまかったな。時間が足りず、勿体無くもごくごく飲んでしまったけど、ラムクリームチャイも美味しかった。

 

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さて2019年。平成31年。もう二月やけども。どうなるかな。

がんばんなきゃな。ちょっとは強くなれますように。

吉田神社の節分祭は今年も行けませんでしたが、行きたいなと思うところにはなるべく、すくすくと向かえますように。